東放学園

TOHO会

TOHOKAI
東放学園同窓会のためのTOHO会へようこそ!
今日も絶好調

東放学園

2017年02月08日

2月8日(水)昨日は一日中強い風が吹き荒れた。立春すぎだと云うのに朝晩はまだまだ寒い日々が続いています。日は永くなったのだけれど。

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寒い時にはおでんで一杯やりましょう!
久しぶりに食事会をしましょうとのお誘い。

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先週はTOHOの職員とOB職員のお楽しみ会だ。
場所は浅草・千束町の老舗のおでん屋。(わたしのリクエスト)
毎年のようにいっていたがここ2〜3年はご無沙汰。
ここの古いしもた屋風な店構えが好きだ。
浅草の中心街からやや離れているので一見さんには探しにくい。
店内に入ると少し改築した跡が見えるが、雰囲気は良い。
客層は以前と違って若くなっている。ネットで検索、評判が良いようだ。
この店の味はおでん・・・関東炊き、やや濃いめの味付け。
旨い!焼酎のお湯割りがますます体を温めてくれる。
日本人に生まれて良かったと想う至福の時。
店を出た処で幹事の粕谷先生に記念写真を撮ってもらった。
この辺りにも中学時代のクラスメイトが沢山いた。
もっともあの頃は夜の浅草に出入りはしていなかった。
帰路、振り返ればおでん屋「お多福」の提灯が暖かく灯っていた。

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浅草は昔からの歓楽街。
食べ物屋も沢山のバリエーションがある。
三種の神器「すし・天ぷら・ウナギ」も事欠かないほど店がある。
そして蕎麦・すき焼きもだ。(とんかつは上野)
最近はスカイツリー効果で土日はどの店も列をなすほどの盛況ぶり。
十年前はもう浅草は復活が無いと言われるほど寂れていたのに。
仲見世・新仲見世は人通りががぜん増えた!
外国人旅行者が大半を占めているようだ。
ともあれ街が再び活気づくのは良いこと。
何せ私の子供の頃は迷子案内所が何か所も出来ていたくらい。
町はまさに生き物の様だ。ひょっとした拍子で変化する。
今の浅草はスカイツリーと外国人旅行者のおかげなのだ。

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家に帰ると日本ポストプロダクション協会から、
「映像音響処理技術者資格認定試験」問題集が届いていいた。
20年位前、私が協会に提案した資格認定制度である。
いまでは全国の専門学校、大学、業界、一般と広く施行している。
本年度は懸案であった上級クラス(アドヴァンス)を実施に入る。
ポストプロダクションでは撮り終えた素材を編集・映像、音響処理をする。
作品におけるフィニッシュワークなのだ。
地味で根気のいる仕事ではあるが広い知識と判断力が必要な職業だ。
試験問題も今ではすっかりデジタル機器対応の物が多くなって来た。
TOHO学園でもその講座を設けて試験に備えている。
今後上級コースの行方を見守りたいと想う。

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先週、私の誕生日だった。
家族からYシャツなどを送られた。(どこどこのメーカーの物と指定していた)
トラッドの定番もの、サイズもぴったりで嬉しかった。
翌日、放送芸術科OBの「いつものA組」から花のバスケットが届く。
毎年忘れずにきれいなお花を有難うございます。
皆さん卒業してから30年は経つのにいまだに心配して頂いている。
皆さんも人生半ばでご苦労が多い時でしょうに…深謝!

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日中散歩すると今は何処を歩いても梅の花が真っ盛り。
紅梅、白梅、蝋梅・・・の花たちが凛と咲いて香る。
たまに鶯やメジロが花をついばんでいる様は、
一幅の日本画の様だ。

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そう云えば近ごろ絵画展に行っていない。
そろそろ上野のお山辺りに散歩がてらに行っても良い頃だ・・・。

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2016年10月05日

10月5日(水)先週末、広島で久しぶりのTOHO会が開かれました。前回は参加も少なかったが、今回は大勢の参加もあって大盛上がりでした!

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今年の気候は本当に可笑しいぐらい変だ。
台風はどんどん上陸してほぼ日本を縦断している、
たまに秋空を観るとなぜかホッとする。
今のところそんな好天は続かない。
今日も台風の前触れで東京は突然の雨が降ったり。
早く湿気のない秋の青空が続いて欲しい。

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広島TOHO会の報告です。

10月1日(土)新幹線で広島入り。
ホテルにチェックインして水を買いにコンビニへ。
店内はやけに混雑、そして赤い景色が現出!

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この日は広島カープの最終戦、黒田投手の登板とあって、
家族連れの客は15番のユニフォームで買い物。
市民が積極的に応援、加熱する日に遭遇。
市内は広島カープ一色なのだ。

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懇親会の会場は市電で三つめの繁華街内にあった。
その店名も「紅緒」!カープ色を意識して?

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OBさんたちが続々と集って来る。
35年振りのアナウンス学院のOG、Fさん。
卒業時に「わたしは自衛官になります」と云っていたKさん。
(1985年放送芸術科卒)
宣言通り現役の陸自官。あと数年で定年だそうだ。(55歳定年)
卒業時に彼は私と握手をしたことを今でも覚えていると。

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何時もの事だが歳月の流れの速さを感じてしまう。
学科は違えども、最初は緊張していた面々もすぐリラックス。
TOHO効果なのか。
会長の小河原さんの挨拶。
そしてご指名で乾杯の発声をさせていただく。
しばし懇談・・・・・。
OBサンの現況と昔(TOHO)の思い出話に。

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わたしはあの小さな塾の様な学校が存続している訳が分かる。
全国、台湾、韓国に出前のOB会を開催しているTOHO。
おそらくこんな学校は無いはずだ。
OBは学校のとても大事な財産。
皆の想いが年輪のように、年ごとに増えていく。
今や五万人を越えた巨木になった。
TOHO会イズムがあるならば、
それは綜合的に良い教育環境で育ったOBの
再び出会いの場を創る積極的な支援なのかもしれない。
良き学びの良き思い出、そして教師や授業や良き出会いの場所だった。
そしてそれをフォローする体制。
(事務局、地区役員OB、もちろん学校全体も)
教育は物を売っておしまいではなく、人を育てOBが逆に後輩を育てるのだ。
良き人の循環が永続しているのが「良い学校」のひとつの条件。
縁あってTOHOに入った事が遠い将来につながって行く・・・。

1005-7 広島集合


二次会の会場に行く間そんな事を思っていた。
ほとんどのOBが参加。
第二部も各自また違った話で親密さを増す。

今度は在郷のOB会を自主開催するといいね・・・。
他の地区では既に行っているところもあるようだ。
草の根がつながって、新しい出会いが沢山出来ればいいなと思う。

会もお開きになって少し寂しくなった盛り場をあとにホテルに戻った。

今日も好い日。良い出会いがあった。
そして良い眠りに就いた・・・・。

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2016年07月06日

7月6日(水)昨日は梅雨寒(つゆざむ)、長袖を着て丁度いい具合の陽気。関西は猛暑日、日本列島はやや縦長、いろんな天候変化に富んでいるようだ。

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テロの脅威がアジア圏に近く及んできた!?

発展途上国に援助に行っての悲劇。
言葉もないほど暗く悲惨な出来事だ。
宗教の違い、富める者と貧しきものの格差。

先進国はさらなる富を求め、かつてなく強欲なし支配者たち。
「足るを知る」という格言は絵空事か。
冨の還元、人間の欲には限りが無いのか。
誰にでもある「知識欲」「向上心」などなど、もろもろの欲。
我欲をどうやって押さえ折り合いをつけていくか。
世間さまとバランスを考えて程よく治めるのが得策。

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わが国も働けど働けど賃金格差は広がる一方、
株式会社はホールディング化して貯め込むばかりで還元無し。
世界の経済戦争に負けないようにだそうだ。

それにしても年々暮らしにくい世の中になって来たようだ。
明るい話題が圧倒的に少ない気がする。

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先週は、TOHO OB(放芸卒)35年振りのメンバーと会食。

翌日、2期生の吉田 宏さんからTELで学校で特別授業をとの話。
かれは、いまだに「たけし」との番組付き合いが長いのだ。

還暦、定年、再雇用と古いOBさんが一区切り、ひと上がりで、
連絡してくるケースがこの頃多い。
自分一人だけ年をとっている訳ではないと再認識。

本学もあと数年で(無認可時代を入れて)45年位になるようだ。
先週も書いたが「時の流れは」確実にある。
思えば遠くに来たものだ・・・。

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先週末、映画専門学校で学校評価委員会があった。
学校が自己評価した事柄を第三者がさらに評価すると云うもの。
私が辛口に評価すると「やっぱり、先生らしいですね!」との評価。
自己評価は、ともすると甘くなる傾向がある。
このくらいがちょうどいいと勝手に思っているのだが。

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これから学校も少子化問題が深刻である。
堅実な優良校として生き残り、名を成して欲しい。
微力ながら側面援護を続けたいと思っています。

OBの皆さんますます応援のほどを!

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2016年06月18日

6月18日(土)今日は朝から真夏の天気、暑い夏日です。今年は水源のダムの渇水、もしかしたら何年前の取水制限になったら困りますね。

0617-1映画・授業


先週、映画専門学校で教壇に立った。

階段教室は新入生でいっぱい。
久しぶりの講義で少し緊張気味。
映画製作を目指す若者たち、頼もしく映った。
なかには留学生もおり東南アジア系、欧米系の顔がみえた。
彼らはの日本映画〜黒沢明、小津安二郎、溝口健二が好きなのだ。
しっかりとした骨太な映画、日本独特の情感描写。
日本映画全盛の頃の作品にあこがれているようだ。

0617-2映画・授業2


今回わたしの取り上げた作品はソ連・イタリア合同作品。
A・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』。
難解だが最高の映像美の作品。
中世の宗教画を観ているような気にさせる耽美的なものだ。

0617-3百合・白


今世界で映像を目指す若者はまずスマーとフォンで撮り、
編集・加工のアプリで仕上げているようだ。
極少数、低予算なのがうらやましい。
時代が変わってテクノロジーも便利に安価になったようだ。

わたしたちの学生時代には16ミリ・フイルムカメラで撮影。
編集・ダビング(音入れ)に莫大な費用が必要だった。
そのため夏休みはほとんどアルバイトで費用を捻出。
10人ぐらいのチームは必死に働いた。
真夏の肉体労働もあった、今はいい思い出の一コマ・・・。

0617-8丸い木


今日の講義のテーマは「映画の夢と無意識」。
映画という白昼夢をいかに監督が描くのか?
具体的な日常から映像のマジックで非日常へ。
極上の映画という夢を観客は期待するのだ。

0617-4氷暖簾


講義も終わって即、電車移動。
某大学へ、今度は授業を受けに、なのだ!
5年ぐらい前から興味の会った分野を深く学びたいとの思い、
一人の受講生として毎週のように通っている。

同じ日に立場が反転した軽い驚き、
今度は自分の子供より若い先生に学ぶ。
立場が変わる〜先生から学生も悪くない。
長く生きているといろんなことが起きる。
こんなことも人生の面白さかもしれない。

0617-5浅草昼


久しぶりに浅草に行った。
飲み屋のテラスから吾妻橋越しにスカイツリーが見えた。
今は昼が長いので2時間後に同じ位置からそれを撮影。
まるで違った光景にみえる。
時間のマジック!

0617-6浅草夜


先生と生徒が数時間で違う人物になる。
これも偶然のマジックなのか!?

0617-7アジサイ黄色



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2016年06月08日

6月8日(水)東京もいよいよ梅雨入り。けれど今日は昼過ぎから陽が照って、良い感じに。でも油断は禁物

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ここ二、三日東京は梅雨寒(つゆざむ)。
外出は長袖を着てお出かけなのだ。

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今年はヨーロッパ中部地区、フランス、ドイツ南部、ベルギーで洪水被害。
なんとパリではセーヌ河の一部が氾濫、100年ぶりとか。
ルーブルやオルセー美術館は休館。収蔵品は無事避難したようだ。
この頃、世界いたるところで何年に一度規模の自然災害が起きている。
氷河期(ズーッと先だが?)に至る道を地球が歩んでいるのか?

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先日、東放学園映画専門学校からゲスト講義の依頼があった。
いわゆる七夕講師(年一、二度)を務める。
対象学生は一年生、グリーンボーイ(ピカピカの新入生)。

講義内容は以前にも扱ったA・タルコフスキーの作品と技法。
30年以上前に彼の作品に魅了されてほとんどの作品を観た。
その頃「日本タルコフスキー協会」と言うおそろしくコアな団体に入会。
極めてまじめな研究者の集まりだった。そしてレベルが高い。
その当時、あの黒澤明監督も彼と会い、『惑星ソラリス』を絶賛していたほど。
わたしは『惑星ソラリス』を満員の岩波ホールで観て感激。
主人公のトラウマ(心の傷)や無意識を実体化してしまう謎の惑星ソラリス。
そして亡き妻が宇宙船に忽然と現れる。
まるで『四谷怪談』のようだ。しかし亡霊ではなく「彼女そのもの」なのだ。
彼はそこで二重の苦しみを背負うのだ・・・・。

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タルコフスキー監督の技法の一つに長廻しがある。
一つのシーンを延々とワンカットでカメラを回していく。
しっかりとした構図とカメラマンの腕。役者の演技力が絶対条件。
観客はひたすら画面を見続ける。凝視する。
余りにゆったりしたリズムに思わず眠りに誘われる。
映画は白日のもとに観る創られた夢。
そしてまた監督の夢に夢を見させてくれる。
観る者は自分の夢(無意識)に導かれていく。

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今回は『ノスタルジア』1983年ソ連・イタリア合作品を鑑賞。

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まるで中世の絵画を観るような圧倒的に美しい映像。
旧ソ連からイタリアに来たノスタルジックになっている小説家の主人公。
世界はもうすぐ終末を迎えると云う変人扱いのひとりの村人。
それを予感させる極めて移ろいやすくも儚い風景美 火、水、靄の揺らぎ。

はたして彼らに本当の意味での償いと赦しはあるのか・・・。

すぐれた映像作家の彼は前作『ストーカー』1979年ではチェルノブイリの悲劇を予感していた。
『サクりファイス』1986年が遺作となってしまった。

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先週は講義の準備で関係の書籍を再・再読。
難解な作品、学生さんたちにはこの作品の映像感覚を覚えて欲しいと思います。

次号はその報告も・・・。

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2016年05月25日

5月25日(水)このところ夏日が続いています、早くも夏への扉が開きそうです。なんか今年の夏は非常に暑いような気がして、せめて心の準備をしてますが・・・

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先週末、谷中(やなか)に行った。

日暮里駅で待ち合わせだが、駅の様子は様変わり。
待ち合せの2人の先生方も迷っておられた。
常磐線、それに舎人ライナーが出来きて複雑。
それでもようやく南口から出て、
名物、羽二重団子の店の前を通り、
夏目漱石の小説に良く出てくる芋坂を登ると谷中の墓地に。

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この日は本学で長く歴史の授業を教えられていた。
大島先生の3回忌、偲ぶ会。

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先生はキリスト教徒でその教団の共同墓地に休まれておられる。
谷中の墓地にこのようなところがあるのには驚いた。
ここには明治以来の教徒を祀っているのだ。
墓碑銘にクリスチャン名が刻まれていた。
見下ろすと景色は沢山の鉄路が走り、その向こうに根岸界隈が見渡せる。
平日の墓参、人影はまったくなく静寂そのもの・・・。

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想えば大島先生とのご縁はとても古いものだった。
あのOBの堤監督も先生に連れられて校外授業に行った。
古墳見学、それ以来堤さんは大島先生の風貌から、
「ナウマン先生」と言うようになった。
古代の巨象、ナウマン象に例えたあだ名。
大きくて優しい知の巨人。
わたしも先生の事務所の近くの喫茶店でよくお茶をした。
何時も先生は「今何を読んでいるの?」と挨拶がわりに聞かれたものだ。
亡くなる前にわたしにと何冊かの本を用意されていた。
何時までも勉強せよとの励ましでもある・・・。

この参加メンバーは各学校にある講師控室仲間だ。
同じ曜日の同じ時間帯の先生方が介する場。
古いOBな方はご存知かな、カウンセラーの藤光先生、広告概論の坂東先生。
それに学内から加わったわたくし、3人はよく話をしたものだ。
そのつながりが現在まで続いている。
大島先生のご縁、不思議な巡り合わせと言うほかはない。
皆さんお元気な様子!
この集まりがまだまだ続くように願うばかりなのだ・・・・。

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先日A新聞に「北欧ミステリー人気が定着してジャンルとして確立」とあった。
その真面目な社会派的な姿勢が受けているらしい。
30年来この北欧系統をを読んでいる自分としては、
「ようやく認められたのか!」との感あり。

ただ今、デンマークの作家ユッシ・エーズラ・オールスンの
『特捜部Q』シリーズを読んでいる。(ハヤカワ・ミステリー文庫)

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コールド・ケース(未解決事件)ものだ、そして人気シリーズ。
日本でも60年代松本清張や水上勉の社会派推理小説がブームであったように、
英米の不正義や神の不在、諦念とは相反する考えが受けているようだ。

次回の予定はアイスランド発アーナルデュル・インドリダソンの『声』。(東京創元社)
彼の著作はこれで三作目、楽しみである。

今日も朝から湿度が高い、昨夜から風強く雨が来そうだ。
このまま梅雨の時期になってしまうのか…。   

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2016年04月28日

4月28日(木)毎日、熊本地震。余震のニュースを知るたびに暗澹とした気分になっています。東北の復興もまだまだなのにこれからの困難な生活、想像を絶します・・・

0428-1牡丹


親を選べないと同じように、
その土地で生まれ育った人たちも場所を選べない。
この度も何百年に一度だと云う。
火山・地震列島日本が揺れている。

0428-3下がり藤


わたしたちの生活は、つかの間の安定の裡にある?
一日一日をますます大事にせねばとも思う。

0428-4花の道


世の中大半はゴールデンウィークだと云うのに、
「何時まで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ・・・」
しかし季節は巡りくる。
時、まさに百花繚乱!
外に出れば、目にも鮮やかな花々で彩られている。
毎年のように見ている花々だがこちらの心情によって、
花影は微妙に変化している。

桜の花時雨を通り抜けると、
犬の鼻先に花びらが付いている。
しばしそのまま元の木には戻らない一片の時間を楽しんででいた。

近所の路地の少し古びたマンションの前庭には、
この時期だけに咲かせている牡丹花が艶やかな姿を見せる。
作り込みの極致のような優美さは圧倒的な存在感なのだ。
振り返るとそこに和服の妙齢のご婦人が伏せ目がちに通り過ぎる。
ここは柳橋界隈か?

0428-2牡丹白


瞬間!なんだか艶っぽい白昼夢を観ていた。
昼間でもなお薄暗い路地裏には、
微妙な光と影が豊かに存在している。

あの文豪、谷崎潤一郎の随想録「陰翳礼讃」のような気分になった。
昭和の初期に書かれた随筆には和の文化。
特に建物はなんとしても旧日本式が良いと。

0428-5陰翳礼讃


日本の繊細な木や紙を大事に使って表現されたものが昨今失われている。
微妙な光と影が彩なす和の文化の礼讃である。
街の明かりがロウソクや油からガス灯、電気に変化していき、
さらに時代ははデジタルになり中間の陰翳をなくしていく。
夜の街、特に盛り場に明かりは日隈よりも眩しいものがある。

0428-7旧家址


しかし、レトロ気分が残っている町 浅草に「神谷バー」は健在だ。
この三月末、TOHO学園の顔ともいえる月野木先生も
定年退官(教育顧問として残られる)された。
そんな訳で昨日は私主催の飲み会を「神谷バー」。
脇役は、かの名酒「電気ブラン」!
ブランデー・ベースの物凄く強いカクテル酒。(40度)
明治に作られた時代にはハイカラ文化のシンボル
「電気」という言葉をつけると売れたそうだ。
度数が強く飲むとビリビリとしたということも命名のいわれとも。

0428-6神谷バー


相変わらず一階席はほぼ満席、下町の社交場なのだ。
このホール、少し前に改修されこぎれいな感じになってから、
女性や観光客、外国人が多く来店している。(インターナショナルな雰囲気)
そして客層がずいぶん若くなった気がする。

合縁奇縁と云うが生涯出会う人の数は多いが彼との縁は深い。
私の友人のお兄さんの紹介だった。

0428-8土手の桜


30数年前の記憶がよみがえる。
彼の就任面接をしたのが昨日のことように思える。
二人きりで飲むのは何年振りだろうか。
お互いのこれからやりたい事などなど
映画の話、ミステリー、時代小説、今は亡き共通の知人の話・・・。

ここ何年間で定年を迎えた教職員がたのほとんどは私が面接にかかわった。
時代は変わり人も変わっていくが、学校はこれからも存在するはず。

あとをつないでいく教職員の方々のご健闘を祈ります!

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2016年04月20日

4月20日(水)自然は何時だって残酷な顔を見せる。これから本格的な良い季節になろうとする時。熊本を中心に地震被害が拡大。避難生活からも二次被害、一日も早い復旧を望みます!

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この日本は数多くの活断層の上にあると云う。
この横長の国は火山国でもある。
人々は昔からその不安定な土地に住み続けている。

天災(地震・水害・飢饉)何時だってこの試練を乗り越えて来た?
多くの犠牲の上に成り立っている危うい日常生活。

生き物界の頂点の様な存在と自負する人間。
科学万能の様な錯覚で、なんでも分かってしまって安心しているが、
一つ自然が牙をむけば一瞬にして生き地獄の様相を見せる自然。
一瞬の安定期を幸福に生き続けるようと信仰に頼ったりする。

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人間は忘れやすい生き物でもある。
起きた不運や不幸な出来事をなるべく記憶の片隅に追い込んでおく。
そうしないと明日が来ない気がするからだ。

それにしても、日を追うごとに余震があり、
被害が九州全域に拡大しそうだ。
TOHO・OBの罹災された方々が気になる。
全員の無事をお祈りいたします!

話は変わるが、先週TOHOの横田 淳先生の停年・「卒業式」があった。
ごく近しい仲間と無事27年間勤め上げられた記念祝い。
就任時の面接は私が担当。
当時彼はコンサートPAで全国のホール、会場を飛び回っていた。
その経歴・キャリアで合格、教員に採用された・・・。
あっと言う間の27年、お疲れ様でした!

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これからは65歳まで年契約を更新して行くそうだ。
縁は本当に不思議な出会いである、良き縁を持続するも努力がいる。
教育現場から最近はキャリアセンター長として活躍されていた。
「半分ホッとしています、今の気分は・・・」
まだ当分は現在の仕事を応援として続けていくようだ。
年齢とは非情なものだ、そうでないと後進に道を譲れないから。
先生といえどもサラリーマンなのだからね。
先にこれを経験した私としては「健康第一!」と贈る言葉。
和気あいあいと実に楽しい集まりであった。

今日は朝から快晴、やっと春らしい陽気になった。
わが家の犬はベランダで何事もないように日光浴。
白い花モクレンの街路樹の白色が目に痛いほどだ。
暖かく良い季節になった。

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今日、ウンベルト・エーコ著『プラハの墓地』を買う。
(橋本勝雄訳/東京創元社)

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あの世界的なベストセラー『薔薇の名前』の著者だ。
テーマはイタリア統一、パリコミューン、ドレフュス事件・・・。
そしてナチのホロコーストの指針ともなった史上最悪の偽書、
「シオン賢者の議定書」それらすべてにひとりの文書偽造家がかかわっていた?
後半はミステリー仕立て・・・・・・。

架空の人物を歴史上に登場させ虚実をを入り混じりサスペンスを交えて展開。
久しぶりのエーコ大いに期待して読もうと思っている。

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2016年04月13日

4月13日(水)今年の気候は寒暖差が大きく、雨の日も多く、桜はもう葉桜。体調の維持管理に気を配ってはいますが調子がいまいちです。

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今日昼過ぎ赤坂で放送芸術科のOBにバッタリ。
吉川厚志さんだ、2〜3年ぶりの再会。
お元気で、いまもドラマの制作の最中だそうだ。
今年55歳とか。
「昔なら定年なのに、・・・ですよね!」
近々同期会をやりましょうと云いながら別れた。

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とにかく、「赤坂村」には局があり、大勢のOB達が活躍している。
この界隈の道を歩いていると多い時には2〜3人のOBにお会いする時がある。
20年30年40年選手の方がいまだに業界に居られる。
これはもう奇跡の様なものだ、これからもガンバってください!

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それにしても最近はTOHO生も本気で業界を目指す人が少なくなったと云う。
確かに放送は特殊な業界かもしれないが今でも十分面白い仕事だろうに。

特に東京は放送局の力が強すぎて小さな制作プロダクションは辛い。
年々労働環境が悪くなっていると聞く。

地上波、BS、UHF、CS番組が多すぎるし選択に困る。
番組の質の低下が著しい。
どの局も同じタレント、バラエティじゃあね・・・。
TVは昔の様なメディアでは無くなったようだ。(スマホTVとか)

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話は変わるが今年もTOHOの先生方の論文集が出来た。
「研究紀要集」である。
先生・教育者と名乗るからには自分の科目や分野を、
論文形式で学内に知ってもらうのが当然だろうと。
その頃は他の専門学校では実施されていない領域だった。
30年位前に提案、そして実現して現在に至った。

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そんなご縁で今年も審査員をおおせつかった。
近年は甲乙をつけがたいほどの出来栄えだ。
論文の質が高くなった。
どこに出してもおかしくないほどだ。
審査するこちらも真剣にならざるをえない。
ともあれ皆さんお疲れ様でした。
この良き伝統をこれからも続けて行って欲しいものである。

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春霖(しゅんりん)・・・
春霖雨ともいう。こまかく烟(けむる)ように振りつづく三、四月ころの長雨。
春雨は長雨になることが多い。
「霖」は長雨の意で、とくに三日以上つづく
雨を言う・・・『雨の名前』 高橋順子著 小学館

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2016年02月17日

2月17日(水)このところ東京の気温の乱高下はすさましいものだ!一日の中で20度近く温度差があり何か別の国に行ったようだ。身体がついて行けそうもない!

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先週末、TOHO学園関係の知人たちと会食。
新宿の歌舞伎町に集まった。
何年かぶりの歌舞伎町。
街はすっかり綺麗に、明るく様変わりしていた。
折から中国人観光客も大勢!

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学生時代から行きつけの街。
そしてTOHOの職員や学生さんとも夜な夜な通ったところ、
当時は学園祭が終わると各クラブ(部活)の打ち上げと称して、
明け方まで飲み明かしたものだった。
始発電車を待つ間、祭り、宴のあとのえもいえない疲労感、空虚な時。
路上ではカラスたちが残飯をついばんでいた・・・。
花園神社あたりはアングラ演劇の名残りがあったようだ。
赤テント、黒テント、状況劇場・・・。
おどろおどろしく、何が飛び出すかわからないスリリングな演劇。
町全体が猥雑・混沌として危うく、そして面白かった。
街に強烈な匂いが充満していた。

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またある時はライブのJAZZを聴きにピット・インに、
今は亡き浅川マキのブルースにハマっていた頃。
何時も彼女はライブには酔っぱらって遅刻。
♪かもめ♪ ♪夜が明けたら♪・・・JAZZ、ブルースの名曲たち。
今でもなにげに聞くと圧倒的な歌唱力と際立った孤独感の表現力は凄い!
ジャパン・ブルースを感じさせる人物と思う。

0217-3


また西口の想い出横丁(通称ションベン横丁)は終戦直後よりいまだに健在!
薄暗く、細長い路地にもつ焼き屋が何軒も軒を並べている。
親・子・その孫までその客層はいまだ健在のようだ。
その横町の真ん中ぐらいにある店Sは学生時代の友人が親子兄弟でやっていた。
なかなかの繁盛店でいつもも空き席待ち。
煮込みと生レバが人気。
そして梅割りと称する強い酒(焼酎カクテル)が人気。
しかし、この店のルールは梅割りは三杯までと決まっていて、
それ以上だと強制的に還らされてしまう。(オヤジさんも息子も怖かった)
今でもそうなのだろうか?
その友人も逝ってしまって久しい、まだこれからだったのに・・・。

若い頃の色々な思い出が一瞬に甦る。
想いで多き街だ。
しかし時代も人も街も変わって行く。

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その夜は美味い酒と鳥料理をいただく。
そして〆はかの辛いラーメンで昔(20〜30年)よく通った。
「オロチョンラーメン」店、オロチョンとは勇敢と言う意味らしい。
(店の雰囲気は変わっていなく)激辛に挑戦せよとの意味かナ。
辛いラーメンの元祖的な存在で今も人気だ。
わたしはその夜はあえてそれを避け「利尻ラーメン」にする。
本当に久しぶりの入店で感激したのは、
誘って頂いた粕谷さんも同じ感想。

TOHOの古い期のOBである彼は学園に先生として残り(放技卒)、
今は事務職のトップとしてご活躍。
そして学生時代からハンサム。この夜はソフト帽子。
ダブルのトレンチコートでエラク恰好が良い!

0217-6


街は変化する。
その明るさも昔のネオンではなくデジタルなもの。
懐かしい時代の陰翳を無くそうとするかのように、
やけに、平板にただただ明るいのだ。
それゆえ何かのっぺりとしていて不気味な感じ。
世界屈指の不夜城なのは良いが・・・。

「昭和は遠くなりにけり!」かも。

0217-7



toho_sakuma at 16:00 この記事をクリップ!
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