風景
2018年02月28日
2月28日(水)今日で2月が終わる。明日から春3月になる。天気予報では関東は雨風がとても強いとのこと。春の嵐らしい!?外出予定があるのだが・・・

近所の公園の小川にカモが一羽浮かんでいた。
近づいても逃げはしなかった。
ゆったりとした川の流れに身を任せている。
「ゆく川の流れは絶えずして…」か。
まるで静かに時が流れていくようである。

先日、『時間論ノート』ルネッサンス・アイ 川田彰得 著
を読み終えたばかりだ。「時間」に関する書物は意外と多い。
かくいう私も20冊ほど持っている。
あの中世の哲学者アウグスチヌスの有名な言葉が何時も思い出される。
「いつもは時間に関しては知っているようだが、改めて問われると答えに窮するのだ・・・」
それほど昔から『時間』に関しては人々の解釈を惑わせる存在の様だ。

物理学では数式Tと表しその存在わ先験的に固定している。
アインシュタインは相対性理論では、光速に近づく速さでは時間は
伸びちぢみすると云う「ウラシマ効果」?
また心理学では人間は退屈な時ほど長く感じ、楽しい時は早く去るという。
『時間ノート』の作者は外科医。時間との戦いの職業。
その彼が何十年も問うているのが「時間とは?」だ。
門外漢の彼の著作によれば万巻の書を読み、いまだに謎であると。
時間空間→時空は三次元に住む私たちには感じることが出来ても、
その存在が何であるかをつかむことが出来ないらしい。

私自身はその影は空間の変化としてしか見られないと思っている。
または存在の変移。時計はそれらを区切る約束事の機械。
「時間の矢」と言う言葉がある。
その矢は常に一方にしか進まない。時間は過去には流れないのだ。

SFでタイムマシンで時間旅行の話があるが。
理論的には未来に行くより過去の方がむづかしいと言う。
過去は、瞬時に消滅した出来ごとの積み重なりで、膨大な質量があった。
終わったものたちを再構成させて再現させ、そこに行くのは
無限のエネルギーを必要とされるからだと云う。
「時間の重さ」「歴史の重み」と言う言葉が重なる。

川の流れの源流を遡っても、それは過去をたどった訳でもなく、
何時まで経っても現在の行為の一環なのだ。
その現在を突き詰めると「刹那」という表現に出会う。
超微分化された現在。一瞬の現在・・・禅問答の様だ。
今と過去の分岐点なのか?

『ゾウの時間ネズミの時間』本川達雄著 中公新書
いまだに多く読まれている名著。
動物はOのサイズにより一生に心臓が打つ回数が違うが
体重当たりの総エネルギー使用量は変わらないと云う。
これも時間論の変格化された物語の一端。

いわゆる三次元に住む生き物は、四次元を流れる「時間」をつかめない。
そういえば家の犬もいつもハァハァといっていた。
人間を除く生き物は時間と言う言葉を使わない。
死期が迫った猫はいつの間にかいなくなるという。
かつてわが家の猫もそうだった。
ある時間論の物理学者は「時間は存在しない。その都度の現在の重なりである」
現在、今だってとらえようもない現象なのに、
過去は記憶であり毎日その都度更新される自分の物語かも。
未来はあらまほしき(あって欲しい)自分勝手の先の想い。イメージ。

正当な時間論はとても難しいのが分かる。
そんな思いが通り過ぎてフッと我に返ると、
とっくにカモさんは流れに身を任せて下流に去ったようだ。
公園の時計を何げなく見るともう4時近く。
(歯医者に行く『時間』ですよ!)・・・・AH!!

toho_sakuma at 17:00 

2017年12月13日
12月13日(水)このところ毎日寒い日が続いています。皆さんお変わりありませんか?寒さが増しても、このところ師走の忘年会に参加しています。元気です!・・・よ。

先日、北の丸公園の東京国立近代美術館に行く。
熊谷守一(1880〜1977)「没後40周年記念会個展」が目当て。
アリ、猫、蝶など身近な生き物を描いた作品はどこかユーモラス。
マチスのような明快な色遣い、単純で平明な構図。
しかし、よく見ると色合いが軽くない独特の組み合わせなのだ。
これ以上単純化されないほど画はシンプル。
とくに屈託なく横たわっている眠り猫はゆったりした存在感溢れるもの。
(「日向猫」になりたいと思う)のどか!長閑・・・)
クマガイワールドは何故かユッタリズムなのだ。

彼は東京池袋の自宅を30年間一歩も出なく庭で小動物や草木を観察。
風貌もまるで仙人の様だった。
今度、山崎努が主演で映画になると云う。
面白いかもしれない・・・。

また別の日に東京駅近くの三菱一号館美術館。
「ロートレック展2017」

19世紀末パリ、芸術の都で版画やリトグラフを大衆アートを芸術に高めた。
大胆な構図で今でも斬新さを感じる構図と色彩。
対象モデルは芸人や娼婦。
ありのまま、匂いさえ感じるようなリアリティ。
上品なドガとは違う大衆の俗っぽさが画面に溢れる。
まさに世紀末芸術の影の部分を好んで描いたのか?
それでも作品になると反って美しく見えるのだ、耽美的。
もし過去にタイムトラベル出来たら19世紀末のパリに行ってみたい。
その辺の街角のカフェで美術史上の有名アーティスト達に会えるかも・・・・。
「失礼ですが、もしかしたらロートレックさん!?」とかね。

そう云えば近年、実を付けなかったわが家の夏ミカンが、
今年は豊作の様だ、なんといっきょに15個ぐらい黄色い実を付けた。
この夏に黒アゲハ蝶が毎日の様に訪れていたっけ。
日に日に黄色が鮮やかになって来た。

この木は私の父が20年前引越し祝いに鉢植えで持ってきたもの。
と、記憶している、今は3メートルをこえる大きさになった。
今は亡き父は小鳥や植物が好きでよく世話をしていた。
今では私も父が亡くなった年齢を越えようとしている。
大正生まれの自由人、大いに遊び、人一倍仕事をしていたようだ。
寡黙だった父が、
生前「私の一代記を書いてくれないか?」と言われたことを覚えている。
私は生返事でその場をやり過ごしたが、
あのときもっと会話が出来るチャンスの時を逃していた。
今でも苦い記憶だ、「たら、れば」が人生の節目のようにある。
暮れになるといろんな思いが清算されない人生の決算書のように感じる。
色々な事を積み残し、やり残し今年も過ぎていくようだ・・・・が。

toho_sakuma at 17:00 

2017年11月29日
11月29日(水)今日東京は朝から暖かく小春日和の様相だ。こんな天気が続かず明日からはまた初冬の寒さが戻るとの事、寒暖差が辛い今年なのだ。

天候不順は日本ばかりではないようだ。
先日訪れた台湾のOBも今年は秋が短かったと云っていた。
洪水や大型台風が世界各地で頻繁に起きた。
温暖化?の影響なのか地球規模の異変。
海面上昇している地域があり居住の危機なのだ。
地球は大きな生き物、色々不安定な時もある。
我々の身体も何時も健康とは限らない。
しかし人類、生物レヴェルでは呑気なことと言っていられないのが実情。
何時も安定を求める我々としては不安が募る一方だ。

地球史的には恐竜絶滅や寒冷化で何回か生物は滅んだらしい。
もっと宇宙的に、超巨視的に見ると瞬きの瞬間に我々の
生活があると云えばこれまた虚しいのだが・・・。
今日と言う日、色々な瞬間の積み重なりの時間を貴重な時として、
移りやすく、戻らない時間として大切に生きなくてはと。
当たり前のことだが存在には終わりがあるので、
責めても充実した人生を送りたいと思うのだが・・・。

明日は三の酉(酉の市 何時もは二の酉だが)、何故か火事が多いと言われている。
晩秋、河原を散歩していると芦やススキが川風に吹かれていた。
河原の景色はもう冬支度。
散歩する人影も少なくなってきている。
釣り人も、夏の時期のは忙しくフル稼働していた屋形船も、
ヒマそうに何艘も寂しく揺れていた。

この間、「いつもの四人の会」で浅草・吾妻橋に行く。
銀座線の奥まった出口はもろ昭和の地下道街。
もうすぐ銀座線90周年になるとか。
「黄色い地下鉄」子供の頃から乗っていた。
小学生ながら渋谷まで映画を観に行っていた。
稲荷町・田原町・末広町・上野広小路・・・。
この小路は何か懐かしい匂いがした。


そんな気分で30年来の友人たちに会いに行った。
ほんのり楽しい夜会になった。(また来年!)

toho_sakuma at 17:00 

2017年10月25日
10月25日(水)台風一過。ようやくの青空もまた秋雨前線でぐずついている。今週末にはまた台風が接近との事。今年の天気は訳が分からない!

先日台風の去った近くの公園を歩いていたら、
台風のせいか、花梨の実が青いまま落ちていた。
まだ大きく色づく前に残念だ。
秋も知らないうちに深まっているようだが、
グラウンドではシニアの方々がグランドゴルフをされていた。
健康で元気なシニアが淡々とプレーされていた。

私の住んでいる近所ではスポーツクラブが盛況だ。
月〜金の平日は熟年者で一杯だ。
なかでも女性層が7割近くだと云う。
ヨガ、フラダンス、太極拳のクラスなどが人気だ。
女性が元気なのは何とも頼もしい限りだ。
男性の客には夕方サウナと風呂だけの人がいるようだ。
平和な証拠だ、健康志向なのは良いことだ。
わたしもヒマを見てプールに行っている。

また近所の商店街には24時間営業のスポーツジムが出来そうだ。
マシンとシャワーだけの省エネスタイル。
いま流行りだそうだ、何時でも好きな時身体を鍛える!
きっと忙しい若者向けだろう。

そう云えば先日家人の誕生日だったので、
花をプレゼントした。もう何十年も続いている習わし。
今年は花屋さんが張り切って大サービス。
何時もより大きめで鮮やかな彩でした。

あともう何年かで金婚式になる予定だ。
思えば色々ありすぎて一口には言えないが、
お互いそこそこ丈夫であるのが幸い。
何時も家人には色々心配かけたりしている。
夫婦お互いとはいえこちらからの感謝はまだまだかも。

結婚生活は百人十色、その数だけある。
今でも些細なことからケンカはある。
年々それを早く忘れるようにする知恵が増えたようだ。
もともと個性の違う二人なのだからしょうがない。
悪い事は忘れていい事を考えなくては。
お互いに寛容であることが第一かもしれない・・・。

toho_sakuma at 16:00 

2017年10月18日
10月18日(水)今日はようやく秋らしい快晴。秋の長雨が続いています、また明日からは雨模様。ホントに今年の天気は記憶にないほど長雨に見舞われている。

この気候のせいか周りに風邪ひきが多くなった。
今年は咳が出る風邪みたいだ。
大流行りにならなければよいのだが。

早くも冬物が必要になってきた・・・!?
部屋の中でも寒いのだ。

今日あたりは天気が良いので夕方ぶらぶらと散歩してみようか。
そう云えばわが家の本棚に2冊の「路地裏本」が並んでいた。


阿久悠さんの詩をベースに佐藤秀明の写真とエッセイ『路地の記憶』小学館と、
平川克美(文)高原秀(写真)『路地裏人生論』朝日新聞社出版。
あまりお目にかからない阿久悠さんの散文詩。
”歩いても 歩いても出口が無い 歩いても 歩いても退屈しない
そんな匂いのする路地を あみだくじのように 歩いた・・・”

日本全国の路地裏の日常風景が綴られているアルバムだ。
今の時代は振り返ららない、常に前を向いて生きろとせき立てる。
そんな時、何時か電車の車窓から見た懐かしい一瞬の風景が起きてくる。
失われた過去がかすかに残っているその映像。
かつて自分が生きていた時代が思い出させる。(平川克美のエッセイより)

懐かしい路地裏には今でも子供達の賑やかな声が聞こえる気がする。
鬼ごっこ、メンコ、石けり、ベーゴマ・・・。
散歩の達人ではないが初めての街の路地に迷い込んだりするとき、
怪しい人にならないほどにゆっくりとその佇まいを見るのだ。
もっと便利で早く何でもかんでも情報化社会に乗り遅れないように。
とにかく前を向いて進まないとこの時代は生きられないのか。
とにかくスマホやケータイを持たなくては政府の緊急速報も受けられないのか?
情報通信は大事だが、それを持たない者は排除されるのか。
そんな老人の投書が新聞に載っていた。

かくいう私も最近ガラ携が壊れたのでスマホにした。
小型の通信コンピュータが一台増えたみたいだ。
いろんなアプリがあるようだがあまり興味が無い。
もちろんゲームもしない、当分はガラ携のように使ってみようか。

今日も電車では文庫本を読んでいたのだった・・・。
読書、秋も深まったしね。

toho_sakuma at 17:00 

2017年09月06日
9月6日(水)あっという間にもう9月になってしまった。夏らしい時期も少なく冷夏だった。
50年振りの大雨が各地で、アメリカ・テキサスの洪水は予期せぬ出来事では済まない!その上、北朝鮮のミサイルの雨でも降ったらと思うと・・・

私の子供の頃の世界情勢は米ソの対立で長い間の冷戦状態。
鉄のカーテン越しにスパイ活動が盛んだったようだ。
007 CIAが暗躍。
共産主義と資本主義の対立軸そんな時代。
現在は北朝鮮がICBM、核実験で世界中から孤立している。
最終兵器を持つことで世界を敵に回して何をしようとしているのか?
暗澹たる気分になってしまう・・・。
しかし季節は何時ものようにそれなりに移り変わっている。
ザクロの実が色づいて鮮やかな赤だ。
この独特の形はなぜか懐かしさを感じる・

近くの河原へ散歩。
何時もはじっくりと見なかったが橋桁の裏側の佇まいが面白い。
顔を挙げると空が心持ち秋めいていた。(筋雲が出ていた)
真っ赤な花が鮮やかに咲いていた。
橋の下は風の通り道、心地よい場所だ。
そんな日常の安らかな時間を余計な心配させないで欲しい。

話は違うが近ごろ町の本屋が廃業続きだ。
何十年もやって来た馴染の店が亡くなるのは淋しい。
(家の近くの本屋はコンビニになってしまった)
確かにネットは便利で手間がかからない。
けれど私は本はほとんど書店で買うことにしている。
何故かネットではあまり買わない。
書店に行ってぶらぶら店内を観るのが好きだ。
神田ではすずらん通りの東京堂書店が良い。
すぐそばに三省堂があるがほとんどそこにしている。
店内はそんなに込んでいなく居やすい。
専門書も充実しているのも良い。
店内のcafeのコーヒーも好きだ。
その日は2冊の本を買う。

神吉拓郎 著 『二ノ橋 柳亭』光文社文庫と、
神田桂一・菊地 良 著 『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』宝島社。
『二ノ橋 柳亭』の作者神吉拓郎はあの山口 瞳にもリスペクトされていて、
作家や編集者に人気があったそうだ。
1983年直木賞もとっている。
ラジオ作家(放送作家)時代は永 六輔や野坂昭如がいた。
本編は今で言うグルメが密かに通う幻の店の話。
物すごくうまいものを食わせる店だが正確な番地が出ていない。
皆探して探して、結局分からずすごすごと帰ってしまう。
幻の店なのだ・・・だがそれには裏の裏があった!
ネタばれなのでこの辺で・・・。

『もし文豪たちがカップ焼きそば・・・』は素直に笑える。
どこの本屋にも目につくところに平積みされている。
村上春樹から始まりドストエフスキー、志賀直哉、安部公房、又吉直樹、紀貫之。
江戸川乱歩、三島由紀夫・・・、錚々たるメンバーが真面目腐ってその作る様を描く。
たかが焼きそばの作り方の描き方だが各人各様僅かに違う。
「もしも」のただし書があるようにその作家風にフェイクする。
焼きそばの蓋を開ける薬味をいったん出す。予め湯を沸かしておく。
そして熱湯を注入、5分待って湯切り。
ながししていると熱湯でシンクがペコっと音を立てる。
そしてソースをからませ混ぜる・・・。
その作家の代表作の一節にその作法が描かれる。
日常の細部に着目すると色々なストーリー展開があるようだ。
その作家の文体の特徴に似せて淡々と描いているから、
電車の中で読むと思わずにやにや顔になってしまった。
モノマネ芸は真似る本人以上に特徴を強調している。
それが笑いを誘う。
この本もその類かもしれない。
とにかく最近は上下巻、1000ページの長編で読み疲れをしていたので、
丁度よいインターバルになったと思う。
こんなささやかな時が一番気に入っているこの頃だ。
世界が平和でありますように!


私の子供の頃の世界情勢は米ソの対立で長い間の冷戦状態。
鉄のカーテン越しにスパイ活動が盛んだったようだ。
007 CIAが暗躍。
共産主義と資本主義の対立軸そんな時代。
現在は北朝鮮がICBM、核実験で世界中から孤立している。
最終兵器を持つことで世界を敵に回して何をしようとしているのか?
暗澹たる気分になってしまう・・・。
しかし季節は何時ものようにそれなりに移り変わっている。
ザクロの実が色づいて鮮やかな赤だ。
この独特の形はなぜか懐かしさを感じる・

近くの河原へ散歩。
何時もはじっくりと見なかったが橋桁の裏側の佇まいが面白い。
顔を挙げると空が心持ち秋めいていた。(筋雲が出ていた)
真っ赤な花が鮮やかに咲いていた。
橋の下は風の通り道、心地よい場所だ。
そんな日常の安らかな時間を余計な心配させないで欲しい。

話は違うが近ごろ町の本屋が廃業続きだ。
何十年もやって来た馴染の店が亡くなるのは淋しい。
(家の近くの本屋はコンビニになってしまった)
確かにネットは便利で手間がかからない。
けれど私は本はほとんど書店で買うことにしている。
何故かネットではあまり買わない。
書店に行ってぶらぶら店内を観るのが好きだ。
神田ではすずらん通りの東京堂書店が良い。
すぐそばに三省堂があるがほとんどそこにしている。
店内はそんなに込んでいなく居やすい。
専門書も充実しているのも良い。
店内のcafeのコーヒーも好きだ。
その日は2冊の本を買う。

神吉拓郎 著 『二ノ橋 柳亭』光文社文庫と、
神田桂一・菊地 良 著 『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』宝島社。
『二ノ橋 柳亭』の作者神吉拓郎はあの山口 瞳にもリスペクトされていて、
作家や編集者に人気があったそうだ。
1983年直木賞もとっている。
ラジオ作家(放送作家)時代は永 六輔や野坂昭如がいた。
本編は今で言うグルメが密かに通う幻の店の話。
物すごくうまいものを食わせる店だが正確な番地が出ていない。
皆探して探して、結局分からずすごすごと帰ってしまう。
幻の店なのだ・・・だがそれには裏の裏があった!
ネタばれなのでこの辺で・・・。

『もし文豪たちがカップ焼きそば・・・』は素直に笑える。
どこの本屋にも目につくところに平積みされている。
村上春樹から始まりドストエフスキー、志賀直哉、安部公房、又吉直樹、紀貫之。
江戸川乱歩、三島由紀夫・・・、錚々たるメンバーが真面目腐ってその作る様を描く。
たかが焼きそばの作り方の描き方だが各人各様僅かに違う。
「もしも」のただし書があるようにその作家風にフェイクする。
焼きそばの蓋を開ける薬味をいったん出す。予め湯を沸かしておく。
そして熱湯を注入、5分待って湯切り。
ながししていると熱湯でシンクがペコっと音を立てる。
そしてソースをからませ混ぜる・・・。
その作家の代表作の一節にその作法が描かれる。
日常の細部に着目すると色々なストーリー展開があるようだ。
その作家の文体の特徴に似せて淡々と描いているから、
電車の中で読むと思わずにやにや顔になってしまった。
モノマネ芸は真似る本人以上に特徴を強調している。
それが笑いを誘う。
この本もその類かもしれない。
とにかく最近は上下巻、1000ページの長編で読み疲れをしていたので、
丁度よいインターバルになったと思う。
こんなささやかな時が一番気に入っているこの頃だ。
世界が平和でありますように!

toho_sakuma at 17:00 

2017年08月25日
8月25日(金)年は特に天候が不順ですね。東京は先週一杯はまるで梅雨の様。気温も低く梅雨空と都内各所に落雷、恒例の花火大会がいくつも中止になったようだ。

今月の書字カレンダーは正岡子規の句。
【 藍壺に泥落としたる燕かな 】
藍染めの壺に、巣作りの最中の燕がたまたま泥を落として飛び去った・・・。

夏空の蒼さと藍の色の対比が鮮やかでその間を軽やかに縫って飛ぶ燕の動き。
物静かな昼下がり燕の白い腹が見えた気がする。
一瞬の静寂。

この句から『動的平衡』 福岡伸一 著 小学館 を思い出した。
ロングベストセラーになった『生物と無生物の間』には感動して読んだ。
動的平衡とは彼のテーマの通底音。
生命体は絶え間なく動き、細胞は入れ替わりながらも、
全体として恒常性が保たれている事を言う。

会社や組織は絶えず人が入れ替わっていてもそのブランドは変わらないように。
分子生物学者の福岡氏は生物や自然はミクロ単位で見ると、
機械仕掛けの様だが、それらは時間の関数として動いている。
常に絶え間なく変化してバランスを保っている。(平衡状態)
川はあるがその水は常に同じではない。
「方丈記」の一節のように絶えず動きながら平衡を保っている。
明るい無常観のように思える日本的かも。

昨夜わが家のベランダに出ようとしたらカーテンと網戸の隙間に、
かわいらしいヤモリが影絵のように張り付いていた。
庭では早くも秋の虫が鳴き出している。
街の喧騒を忘れさせる小さな生き物たちに感謝した。

この本再読してみようか!
今日の東京・赤坂界隈は今年一番の暑さだ。
ようやく夏が戻って来たようだ。
それにしても表通り、路地もエアコンの熱でオーバーヒート。
昼時にも拘らず人通りが少ないようだ。
明日から気温は徐々に下がるとの予報。

このごろ地球は体調を崩しているようだ。
洪水は世界各地で起こっている。
ニュースの枕言葉はかつてない。今まで経験したことが無い!
天候の異変を報じている。
科学が進歩しても地球全体を変えることが出来ない相談だ。

犬が逝ってから散歩の機会が少なくなった。
もっともこの暑さではお互いに参ってしまう。
少し涼風が吹くようになってから遠出の散歩に出かけよう。
OBの皆さん、残暑お見舞い申し上げます。
何かと変わりやすい季節、御身体を大切に!この夏を乗り切りましょう!

toho_sakuma at 17:00 

2017年08月09日
8月9日(水)ノロノロ台風が去って、東京は夏空が戻った。でも暑すぎる!暦の上ではもう残暑見舞いの頃、今日の予報では37度超えとか!
久しぶりにTOHOの関先生から嬉しい便り。
珍しい野鳥達の力作写真が送られてきた。
【野鳥写真館】だ。

天然自然、野生の大空を羽ばたく者たち。
その精悍な面構え、特に猛禽類の類のない鋭敏さは群を抜いている。
これらの写真の肝は獲物を狙う彼らとそれを撮るものの、
まさに格闘技なのだ!!

新しく望遠系のレンズに替えての新作だ。
獲物を狙う者とそれをまた狙い撃ちするスナイパー。
観測手もいない孤独な狙撃手。
緊張感の持続のさせ方は計り知れない。
ただひたすら「その時」を待つ。
永遠と思えるほどの張りつめた時間空間。
その刹那が訪れた。
しなやかに引き金を絞るようにシャッターが連射。
おそらく無意識の意識化。

生きながらの彼ら、被写体を活写した。
まさにカメラと言うメディアを通して共に生きた瞬間を視る。
この瞬間に至るまでの関先生のご苦労は並み大抵ではないはず。
こんな至福の瞬間を創りだすために多くの物を犠牲に。
それにも増して成果は大きい。
ツルンとした日常を送りがちな私には羨ましく思えるのだ。
それにしても何時も美しい鳥たちの写真有難うございます。

関先生の野鳥写真館のコメントより
【珍鳥 ヤツガシラ】
全長27センチ、日本のヒヨドリ位の大きさ、こんかい確認されたのは、
群馬県館林市に、僅かに一羽だけ。
北アフリカからヨーロッパを主に生息している種だけに、
アジア極東の日本に渡ってくるのは数年に一度だけと言うレアケースです。
これからも野鳥写真館の活動を期待しています。

珍しい野鳥達の力作写真が送られてきた。
【野鳥写真館】だ。

天然自然、野生の大空を羽ばたく者たち。
その精悍な面構え、特に猛禽類の類のない鋭敏さは群を抜いている。
これらの写真の肝は獲物を狙う彼らとそれを撮るものの、
まさに格闘技なのだ!!

新しく望遠系のレンズに替えての新作だ。
獲物を狙う者とそれをまた狙い撃ちするスナイパー。
観測手もいない孤独な狙撃手。
緊張感の持続のさせ方は計り知れない。
ただひたすら「その時」を待つ。
永遠と思えるほどの張りつめた時間空間。
その刹那が訪れた。
しなやかに引き金を絞るようにシャッターが連射。
おそらく無意識の意識化。

生きながらの彼ら、被写体を活写した。
まさにカメラと言うメディアを通して共に生きた瞬間を視る。
この瞬間に至るまでの関先生のご苦労は並み大抵ではないはず。
こんな至福の瞬間を創りだすために多くの物を犠牲に。
それにも増して成果は大きい。
ツルンとした日常を送りがちな私には羨ましく思えるのだ。
それにしても何時も美しい鳥たちの写真有難うございます。

関先生の野鳥写真館のコメントより
【珍鳥 ヤツガシラ】
全長27センチ、日本のヒヨドリ位の大きさ、こんかい確認されたのは、
群馬県館林市に、僅かに一羽だけ。
北アフリカからヨーロッパを主に生息している種だけに、
アジア極東の日本に渡ってくるのは数年に一度だけと言うレアケースです。
これからも野鳥写真館の活動を期待しています。

toho_sakuma at 17:00 

2017年07月12日
7月12日(水)九州北部の豪雨被害はますます広がっているようだ。被災されたOBの方々一日も早い復旧を心よりお祈りします。
このところ毎年のように水害が続いている。人間の無力感を感じることが多い・・・

今年も東京は猛烈な暑さに見舞われている。
もうそろそろ梅雨明け?も近い。
この暑さと湿度に身体がついて行けてない。
年々異常と思えるほどの気候にバテバテ。
身体も反応して冷たい物を流しこんでいる。
今に夏バテが来るかも。

そういえばそんな暑さどこ吹く風の態で、
街角に今年もヒマワリが咲いた。
青空をバックにまさに真夏の花だ。
堂々として、元気いっぱいに見える。
毎年のことだがその生命力、オーラの出し方が
夏バテ気味の私とは対照的な存在に映る。

あのゴッホの名画にあるように夏の命の輝きが
私たちを元気づけているようだ。

何時も通る公園の倉庫がいつの間にか改造されて
いま流行りのクライミングスクールが出来た。
壁の突起物を手足に掛け登る競技。(ボルダリング)
もともと大きな倉庫なので天井は十分高い。
器用で身軽な日本人には向いているかも。
中を覗くとキッズ達が懸命にトライしていた。

夏と言えば高校野球の予選が始まった。
甲子園を目指して全国の球児が必死に頑張る姿は、
とっくの昔に忘れた夏の部活(私は軟式の野球部だった)を思い出す。
そのころは練習中は水を飲むのはNGだった。
それにしても良くやっていたと思う。
ようやく休憩になるとアルミのヤカンからがぶ飲み!

私は今で言うセットアッパー、2番手3番手のピッチヤ―。
チームはいつも負けていたが練習はきつかった。
雨の日は階段登り(片足ケンケンで)で全員へばっていた。
何故か今思い出すと懐かしく良い記憶に書きかえられている。
過去があるから人間なのか、過去の出来事たちの意味は。
思い出すたびに変化している、現在の自分に適応するため?
生きていくため、自分を傷つけないためにとる手段。
人間の脳の仕組みは生存を守るために嘘?をあえてつくようだ。
余りそれが過ぎると虚言症と言う病気・・・。
ともあれ、これから始まる新たな今年の夏。
うまく乗り切って行きたいものだ!
OBの皆さんどうぞお体、ご自愛ください!


今年も東京は猛烈な暑さに見舞われている。
もうそろそろ梅雨明け?も近い。
この暑さと湿度に身体がついて行けてない。
年々異常と思えるほどの気候にバテバテ。
身体も反応して冷たい物を流しこんでいる。
今に夏バテが来るかも。

そういえばそんな暑さどこ吹く風の態で、
街角に今年もヒマワリが咲いた。
青空をバックにまさに真夏の花だ。
堂々として、元気いっぱいに見える。
毎年のことだがその生命力、オーラの出し方が
夏バテ気味の私とは対照的な存在に映る。

あのゴッホの名画にあるように夏の命の輝きが
私たちを元気づけているようだ。

何時も通る公園の倉庫がいつの間にか改造されて
いま流行りのクライミングスクールが出来た。
壁の突起物を手足に掛け登る競技。(ボルダリング)
もともと大きな倉庫なので天井は十分高い。
器用で身軽な日本人には向いているかも。
中を覗くとキッズ達が懸命にトライしていた。

夏と言えば高校野球の予選が始まった。
甲子園を目指して全国の球児が必死に頑張る姿は、
とっくの昔に忘れた夏の部活(私は軟式の野球部だった)を思い出す。
そのころは練習中は水を飲むのはNGだった。
それにしても良くやっていたと思う。
ようやく休憩になるとアルミのヤカンからがぶ飲み!

私は今で言うセットアッパー、2番手3番手のピッチヤ―。
チームはいつも負けていたが練習はきつかった。
雨の日は階段登り(片足ケンケンで)で全員へばっていた。
何故か今思い出すと懐かしく良い記憶に書きかえられている。
過去があるから人間なのか、過去の出来事たちの意味は。
思い出すたびに変化している、現在の自分に適応するため?
生きていくため、自分を傷つけないためにとる手段。
人間の脳の仕組みは生存を守るために嘘?をあえてつくようだ。
余りそれが過ぎると虚言症と言う病気・・・。
ともあれ、これから始まる新たな今年の夏。
うまく乗り切って行きたいものだ!
OBの皆さんどうぞお体、ご自愛ください!

toho_sakuma at 15:00 

2017年06月28日
6月28日(水)梅雨の真っ盛り。紫陽花は日に日に色を変えて季節を彩る。この2、3日はシトシトと柔らかい雨が煙るように降り、町はいつもより静かだ。

TOHO学園 OB監督の映画作品がカンヌ国際映画祭で上映された
OG・井樫彩さんの『溶ける』だ。
(6月2日 朝日新聞夕刊 より)
なにはともあれおめでとうとと言いたい!
堤幸彦、是枝裕和さんたちに続いて欲しい。
日本映画界も河瀬女性監督のあとが欲しかったところだから、
次回作を期待したい、応援してます!

先日、書のグループで書展を観に行った。
六本木の国立新美術館はそこそこ人が入っていた。
何時もの様に沢山の作品が展示され、
しまいにはほどほど疲れ気味になる。
日本の書道人口はこのところ減少気味とか言うが、
まだまだこれから、根拠はないが増える気がする。

鑑賞後のお楽しみは居酒屋で会食。
もう何年も同じメンバーでワイワイやっている。
先生も途中から合流して場を盛り上げてくれた。
同じ趣味を持つ同士の気の置けない集まり。
これからも続いて欲しいと思う。

それから同じ新美術館では開館10周年記念で、
A・ジャコメッティ展が始まった。(1901-〜1966)
私の好きな彫刻家だ。
あのヒョロヒョロとした人物、フォルムは一度見たら忘れられない。
異様なまで痩せた身体、存在の不安と孤独。
日本の哲学者矢内原伊作をモデルにした作品もある。
彼も1920年代ダダイズムやシュールレアリスム運動に参加していた。
アフリカの原始彫刻にも大きな影響を受けていた。
久しぶりに彼の作品に会いたい。


先週末、小田急線の成城学園前から砧公園そばの、
NHK技研で放送プロダクションの若手の為の研修会があった。
全国各地から新入社員の参加。
制作系と技術系に分かれて専門的な授業・実習。
講師はNHKを退職したベテランOB。
実際現場で使われている機材で設定された課題をこなす。
座学は放送法規や取材マナー、倫理と幅広い。
2日間ほぼ缶詰状態での受講。
これからの放送界を牽引するホープたちの目は輝いていた。


私たちの頃は即現場が研修だった。
昔のやり方ではついて行けないのかな〜。
主催団体側としては二日間無事に終わってよかったと思う。

この頃は散歩に出る機会が減った。
犬が逝ってからテキメンに出不精になった。
「牛に牽かれて善光寺詣り」・・・犬に牽かれてか。

何時も彼と辿る道を歩いてみた。
鼻をクンクンさせ寄り道をしていた時間に、
こちらは季節の花々を楽しんでいた。

今は一人で歩くと何か味気ない。
伴走者がいないマラソンの様だ。
第二期ペットロス状態に入ったかも。
梅雨空からポツリポツリと雨が。
足早に家路についた…。

toho_sakuma at 17:00 
