風景
2019年06月05日
6月5日(水)あの夏のような暑さの5月の一時が終って、いよいよこれから梅雨入り、庭の紫陽花がいつの間にか色を変えていた。梅雨空にと映えるその不思議なたたずまい。

5月の最終金曜日、31日は業界団体の総会ラッシュだった。

自分が役員や顧問になっている協会の年度末の年中行事。
午後から表参道のホテルや原宿の東郷記念館を往復。
東郷記念館は原宿の駅から竹下通りを通るのが最短。

竹下通りは相変わらずの大混雑、人の波を縫うように急ぎ足で抜ける。
それにしても外国人が年々多くなっている。
私のような年配者が歩き回る場所ではない。
妙な違和感と気持ち悪さが残るのは気のせいか?
その盛り場を隔てて東郷神社が森閑としてたたずむ。
本当にシュールな組み合わせでもある。

そこから裏原(原宿の裏通り・通称ウラハラ)を通り表参道へ。
ここも若い人で溢れていた(ついこないだまで閑静な仕舞屋街)
総会・記念パーティ、懇親会も無事終了、帰路の電車ではほっとして居眠り。
年のせいか苛酷な一日だったかも・・・。

また、先日恒例の「四人の会」が浅草であった。
2か月ぶりにみんなと会ったが現役バリバリで忙しそう。
浅草は神谷バーで「電気ブラン」を少し頂く。
2Fは少し落ち着いた雰囲気で良いと思う。(1Fも大衆的でいいが少し騒がしい)

近況報告や雑談で2時間経過。珍しく吾妻橋の川沿いのバーへ。
墨田川を見下ろして川風に吹かれ一杯、洒落た2次会となった。

還暦過ぎのオジサンたちは会社の役員や社長、御偉いさんばかり。
川面には屋形船が浮かび灯が揺れる。30年物付き合いだが皆の若い頃がふっとよぎる。
私もみんなに教え教えられして今がある・・・一瞬、良い一日だなと想う。

この頃はなるべく「日々是好日」でありたいと感じているのだ・・・・

toho_sakuma at 17:00 

2019年04月24日
4月24日(水)今朝からお天気はぐずついていますが、催花雨がしとしとと降っている。気温もだいぶ高くなっていよいよ10連休がスタート、遠出外出の予定はない・・・

平成から令和へ、何かタイミングが良すぎる大連休。
令和(れいわ)をTV発表の時に字面を見て(りょうわ)か!
と読み違いをしてしまった何とか律令(りつりょう)のイメージで。

昭和・平成・令和、かってあの時代にあんなことがあったと。
西暦とは違う懐かしさや出来事の印影が浮かぶ和暦。
ビジネス界にとっては手間がかかることのようだが、
私個人はこの二つの読み方に区切り方に賛成だ。

さて10連休どうやって過ごそうか?
部屋の掃除、たまった本の整理、いつか読もうと思っていた本に挑戦。
花屋に行って春らしい草花を買い、庭に植える。
庭の夏ミカンや月桂樹などの庭木の剪定。
一日二日ぐらいは散歩を兼ねて上野の美術館や両国の江戸博も。
予定は未定?果たしてどうなるやら・・・。

そういえば先日、古くからの友人から手紙。
最近は会っていないが、風の便りで酔っ払ってけがをしたとか。
同い年なのにかなりやんちゃな日常生活のようだ。
自分史のような出来事を「小説風」に事実とフィクションをない交ぜしたもの。
どうやら、その構想の予告編のようだ。
それにしても突然の手紙、3回も読み直した。
年をとると何か書き残したい自分のために、気持ちはわかる。
お互いにそんな年になったのかとあらためて思った。
「頑張って本編を書いてほしい」と返事した。

話は変わるが、近所のマンションの庭先に牡丹の花が咲いた。
年に一度豪勢に咲いた!見事と言えるほど艶やか。
立ち止まって見いる人が大勢いた。

さて、OBの皆さんはどんな連休なのでしょうか?
交通事故には出会わないように願います!

toho_sakuma at 17:00 

2018年10月31日
10月31日(水)このところ晴天続きで秋めいてきた、今日はハロウィンのようだ。はしゃぎすぎの東京・渋谷は今夜も悪場所になるのか!?

このところ秋晴れが続いて散歩には絶好。

先日は荒川の下流(中川)にある競艇場まで歩いた。
そこそこの人出、場外の飲食店から煮込みの匂いが漂う。
店内はボートレースファンで賑わっている。

賭け事はやらないがモーターボートが水面を跳ねる画は好きだ。
対面の土手からは無料で見られる、豪快なエンジン音。
コーナーでの鮮やかなハンドルさばきが見ることができる。
魚のエイのような船底を見せ一瞬空に舞う。
すごいスピードと轟音、周回は2回の勝負。
この頃TVCMで競艇(ボートレース)が多くみられ、
公営ギャンブルも昔ほど賑わっていないようだ。
でも最寄りの駅から無料の送迎バスが今でも出ている。

以前犬が元気な時にはこの辺りまでよく散歩。
土手にチョコンと座り首を傾げレースを見ていた。
そのことを思い出すとなんだか泣けてくる。
そんな今は亡きペットを偲ぶコミックを先日読んだ。
『犬を飼う、そして猫を飼う』谷口ジロー著
とてもやさしいタッチの画風で心が和む。
このコミックでも愛犬の亡きあと知らず知らず、
散歩は同じ道をたどっているのに気づきハッとする。
この本でも飼い始めから看取りまでの時間が描かれている。
お互いしゃべらなくても心が通じるような間柄。
言葉ががないだけにお互いを注意深く観察する。
そして自分より早く逝ってしまう。

生き物を飼う覚悟はできていたがやはりその後は、
2年も経つのにいわゆるペット・ロスが襲ってくる。

知らず知らず同じ道を歩くとそばに犬がいるような錯覚がある。
もう私も歳だし悲しい思いをしたくないのでペットショップはパス。
秋が深まるといろいろなことが思い出されてくるようだ・・・。

toho_sakuma at 17:00 

2018年08月22日
8月22日(水)先週末は涼しい日があってホッと一息ついたのもつかの間。今週はまた酷暑が。暑さ寒さも彼岸までというがまだ8月。今週はアベック台風で残暑がぶり返しています。

涼しい日が続いた先週末、旧江戸川の篠崎水門に行く。

ママチャリでいこうと思ったが、家の近くからバスが出ているので
楽して小さな旅(30分ほどの)を楽しむ。
運転手は若い女性。水門の付近の駅を聞いて確認。(ご親切ありがとう!)
終点近くの駅で降りて目の前の土手を上ると、
水門が見えた、正式名称は江戸川水閘門。
戦前(昭和18年)にできたようだ。

春先は花見の名所土手沿いにサクラが満開で風情溢れるところ。
今日はその土手沿いにバイクが何台も走っていた。
一方、歩きの私は江戸川を渡る涼しい風に任せてブラブラ。
お目当ての水門。間近で見ると築75年のなんとも言えない風情。
現在でも洪水対策としての役割を果たしている。
それゆえ「遺構」ではなく古い建造物なのだ。
なぜか私は「水門」が好きなのである。ダムより水門。
水を制する者は国を制する。中国の諺か。
我が家の一帯はほぼゼロメートル地帯。何本もの放水路がある。
江戸時代から川の氾濫との戦いがあったのだ。

そんな歴史を考えなくても川の要所要所に水門が唐突にある。
その役割よりも佇まいが様々でそれぞれの格好が好きだ。
江戸川は利根川の分流として江戸時代(文字通り)に河川となったらしい。
数百年前に大規模な治水工事があったのはすごいことだ。
そうして江戸の町は繁栄していったようだ。

家の近くの資料館でそのころの地図を見た。
側書きに『・・・時間と空間の奥深い世界に心開けば、
地図に描かれた線は単なる線ではなく脈々として脈打つ。
人と大地とのたたかいの鼓動を一身に集めた、実に
重い意味を持った線として映ったはずである』
(水の文化史 外山和子より)

そうして地図の境界線は絶えず変化している地球規模でなくても、
日本の都市は埋め立て拡大の歴史かもしれない。
「ブラタモリ」でよく取り上げられているが。

とにかくいつも気になっていた篠崎水門をじっくりと堪能した。
黒っぽくなってしまった昭和・戦前のコンクリートの質感、風情あり。

真夏の川辺の昼下がり。人影皆無蝉しぐれの中。南無唯一存なんてね・・・。
家に帰ると早速、高校野球観戦タイセイに入った。
世間はお盆休み。ヒマ爺の何でもない日常でした!

toho_sakuma at 16:00 

2018年07月04日
7月4日(水)もう梅雨明けですか!今度の台風でまた各地に大雨が、竜巻もあり日本に気候は亜熱帯化しているようですね、それにしても蒸し暑いです。

先々週末、「ミラクル エッシャー展」に行った。

久しぶりの上野の森美術館はすごい混雑。
1時間待ちでラッキーのなくらいだ。
並ぶのは苦手だがしようがない、忍耐忍耐。
やっと入ったのだが肝心の作品は小さくて暗い展示。
きちんと鑑賞するのは大変な努力が必要なほど。
鑑賞者の動きがスムーズではない、自然渋滞、また渋滞。
暗い中目を凝らしてい観ていると疲れた。

銅版画、リトグラフ細部を見ようにもよく見えないのだ。
久しぶりの展覧会、全国のエッシャーファンが全員集合か!

私ももちろん彼のファン。ありそうで実際はない図形や風景画。
いつまでものぼりと降りるが繰り返す無限運動。
「だまし絵」不思議な世界観は唯一無二の表現。
彼の作品集は持っているが今回はイスラエル博物館からの作品も。

錯覚と錯視。日常に存在する事物を彼の視点から見ると、
まったく異次元の存在へと異化してしまうのだ。
こんな目くらましのクラクラする気分が良い。
異様な混雑では何をどう見たかもわからなかったので、
重厚で豪華な図録を買って帰ることにした。

家に帰ってじっくり見直したがやはり良かった。
この展覧会は混雑極まりなく、図録を売るためにやったのか!
ナ〜ンてひねくれた感想がよぎったのだ……。

先日の夕方梅雨の終わりにきれいな夕映えを見た。
五彩の雲に乗って天女がおりて来るような。
わずかの間、我が家のベランダから息を凝らしていた。

庭の紫陽花もすでに終盤に掛かり。
陽が落ちるとかすかに虫の音がした。
夏への扉がもうすぐ開かれるのか、そんな予感。

今年は梅雨が短く夏が長いようだ。
水不足の心配も、夏バテの心配もしています。
このところ台風の影響もあって毎日風が強い。
湿った風が終日吹きまくっている。
外出から帰ってくると汗びっしょり。すぐシャワー。
早くも7月。これから2か月余りこんな感じはやるせない・・・。

OBの皆さんもこの夏ご自愛して健やかに乗り切ってください!

toho_sakuma at 17:00 

2018年05月23日
5月23日(水)ここしばらく5月らしいスカッとした天気で、風も気持ちよい日が続きました。そして今日は久しぶりの雨。紫陽花の色が日増しに濃くなってきた。

昨日夕方TVのニュースを見ていたら、
ここのところ話題のアメフト事件の直接の加害者の、
学生の記者会見があった。
いろいろと考えさせられることが多かった。

本来学生が楽しむためにある部活に学校側が支配しようとしすぎる。
過激なまでの規制とまるでプロ化しようとしてさえいる。
監督の絶対支配。そしてコーチを通しての無理無体な命令。
まるで戦前の軍隊のようだと思った。
その学生曰く。
「楽しいかったアメフトが楽しくなくなった」

大人であるべき組織が一人の若者の将来までも潰したようだ。
健全なスポーツを通して健全な学校教育を目指していくのが筋。
スポーツにはルールがあるように、
社会のルールと自分のルールに基づいたその学生。
前途ある若者を育むはずの教育機関が大きな勘違いをしているようだ。
なんとも切なくやるせなくなる出来事だ・・・。

今日は朝から薄日がしてはいるが、
小雨模様の天気。「狐雨」「狐の嫁入り」「天気雨」
狐は人を騙し、からかうから来ているのか。
今はあまり使わなくなった言葉に子供の頃意味も分からず、
空を見て「キツネの嫁入りだ!」と言っていた頃をを思い出す。
いま、庭の紫陽花が元気がいい。
日増しに葉の数が多くなり勢いよく茂ってきている。
ものすごい生命力!季節限定だがうらやましぞ!

植物は植えられたものと書く。動物は動くものだ。
生物の進化の過程で動かないことを選んだ植物。
一方、動き回り生を営む動物。
(その中間を行くコケのような生き物もいる)
動いているゆえの幸せと不幸せ。動かずにいることも同様か?
たまたま人間は言葉を発明して意思の伝えあいをしているのだが、
もしかしたら植物にもそんな気配があるとTVの科学番組で言っていた。
生物の存在自体が大きな謎なのにね。知れば知るほど謎は深まる。
一つの考えだが、生物の使命は確実に子孫を残すこと。
自分の命を繋ぐものとしての存在であることは確かなようだ。
大いなる偶然の重なりで誕生した「生命」。

こんな奇跡の中で生を受けた私だが、
存在として自分の人生を存分に生きているのだろうか?
些細なことで一喜一憂したりどうも落ち着きがない。
「セ・ラ・ヴィ」それが人生っていうものさ!と流そう!

『世界はなぜ「ある」のか? : 実存をめぐる科学・哲学的探索』
ジム・ホルト 著 早川書房
実存をめぐる哲学的探究。ミステリー風なタッチの文章。
哲学者、物理学者、神学者、天文学者を次々にインタビュー、対話。
その核心に迫っていくジャーナリスチックな展開。
変な哲学書を読むより爽快だった。
結局は自分探しの謎解きなのか?その執着心には脱帽した。
世界はそのまま謎に満ち溢れている。
何故と問うことがためらわれる領域もある。
上記の書のようにわからないことが分かったという収穫もある。
人間いくつになっても、謎だらけの人生を生きるようになっているのだ。
今日は「狐の嫁入り」のような天気に化かされてしまったようだ。(笑)
そんな気分・・・。

今年は梅雨入りが早いようだ、そして短いかも。
toho_sakuma at 17:00 

2018年05月16日
5月16日(水)今日は早くも朝から夏日の東京。ここしばらく風が吹きまくっていたから、早くも次の季節を呼び込んでしまったのか!少し外出しただけで汗。早すぎるよね。

先日、母の日に娘から家人へプレゼントが。
淡い水色のアジサイの鉢。
花がたくさんついていたので開花が楽しみ。
家人は大喜びで早速ベランダに出して日に当てていた。
こんな早め早めに変わりそうな季節なので、
梅雨入りも早いのかもしれない。

この季節はバラが見ごろ。ローズ・ド・メ。(5月の薔薇)
薔薇の字はなぜか漢字のほうが風情があると思う。
この字を見ているとなぜかバラの花びらの重なりを感じる、

アジサイもやはり漢字のほうが良い。
紫陽花 嬉しくなるほど似合っている。
植木の見事な紫陽花もいいが街路樹ののそばで、
元気よく咲いているのもまた捨てがたい趣がある。

話は変わって、先日の白内障手術の経過は良好のようだ。
明るく見えすぎる左目、右はそれなりに見えるが。
比べるとやはり若干暗めだ。(バランスが悪い)
贅沢は言えない。ただ挿入したレンズが遠視用なので、
読書には老眼鏡を使いだした。
すべてに良しということはないようだ。

年を取るとは大体いろんなところが痛んできて、
先輩からの年賀状のフレーズ「多病息災!」が実感!
そういえば手持ちの診察券が知らない間に増えていたのに驚く。

もう一か月近く体を動かしていないと、
(軽いストレッチはやっていたが)
体が何となく重くなってきた影木までの歩きがしんどいのだ。
眼科医が運動OKの許可が出たらプールで泳ぎたい。
ちょうどいい季節だから無理のない程度に体を動かす。

そういえば、先週、講習会で放送芸術科のOBと会った。
番組制作会社のお偉いさんになっていた市原博行さんだ。
私がクラス担任をしていた時の学生さんだ。
あまり学校のほうは出ていなかったがほかでアルバイト。
30年ぶりの再会だ、なんとなく面影は残っていた。

学園当時クラス担任をしていた学生さんの名前は
今でも思い出すことができる。
しかし最近はほとんどだめだ。
新しく人の名前を記憶するスペースがない。
ある学説によると人の名前の記憶容量は約3000人ほどだという。
かって、あるとき名刺を廃棄していたら全然思い出せない人が多数いた。
さる官僚のように「記憶にございません」とぼかしているわけではないのだが。

こうして大脳の新皮質が機能しなくなっているのか、
年を取るとボケ、物忘れ、同じことを何回も言う。
頻繁にそんな症状が出てきたら、もう立派な老人です?
まあそんなに心配する暇があったら
やることがたくさんあるはずだよね・・・

toho_sakuma at 17:00 

2018年05月09日
5月9日(水)今年、世間では長い連休だったようだが、こっちは白内障の予後で引きこもり。目を休めるためにも長時間の読書を自粛、スポーツジムも行けず退屈な期間だった。

連休中は春の嵐(メイストーム・5月の嵐)が吹きまくっていた。

朝から快晴の日が続いて気温も夏のよう。
白内障の治療で今までより数倍以上に明るくはっきりと見える!
外出にはサングラスが欠かせないほどの眩しさなのだ。
年は取りたくないというけれど、五体が軋んできているのが分かる。
そのうちもっとあちらこちらが痛んでくるのだろう。
昨日スポーツジムに軽いストレッチをやりに行ったら、
顔見知りの仲間から「どうしたの!死んだかと思った!」
と心配されていたのだ。
約1か月間休むと心配される年齢なのかと再認識。
心配されているうちが花かもしれない。

今日は赤坂の事務所に出勤、久しぶりだ。
空はどんより曇って霧雨が降っていた。
そして寒さがぶり返してきた、厚手の上着を着て出かけた。
連休明けで電車も混んでいた。

今週は月曜から雨が降って、風も吹きまくっていた。
沖縄は梅雨入りしたようだ。
今年の気候はずいぶん前倒しで過ぎて行っている。
暑い夏が長くならないようにと祈る。

連休の最終日、長い散歩をしてみた。

これはウオーキングかな?5キロメートルぐらいあった。
小学校の2、3年生の頃近所のガキ大将の先導で、
自転車に乗り浅草から懸命になってペダルをこいで
今井橋まで行ったことがあった。

子供用の自転車で大汗を掻きながら、半べそをかいて行った記憶がある。

この日は水門を見るためにはるばる歩いた。
行きは向かい風で野球帽がすっ飛ぶぐらいの天気、快晴。
手持ちの500ミリのペットボトルを飲み干したところで到着。
巨大で立派な水門なのだ。(私は水門が好き!)
誰もいない昼下がり水門に見とれている変な奴!
耐震補強改修工事中とのこと。
帰路は土手下の草花が風に吹かれて気持ちよさそうに揺れていた。
帰路は背中に風を受けてゆっくり歩き家路についた。
サングラスをして出かけたのだがやはり光の刺激過多。
目が疲れて重かった、無理は禁物!やっぱり!

学校のほうは連休明けで生徒さんはみな無事に帰ってきたのだろうか?
これから新入生は本当のスタート。
自分の夢や理想に向かって大いにやってほしい。
間違っても「五月病」にならないようにとは心配しすぎか!
一日一日が貴重な思い出になっていく年頃、そして学校生活。
後悔がないように今を大切に過ごしてくださいと祈ります!

toho_sakuma at 17:00 

2018年03月28日
3月28日(水)今年、東京の桜は少し早咲きのようだ。家を出るとそこらじゅうの桜が咲き誇っていつもより景色が明るく華やいで見える。朝晩はまだ少し寒いが待望の春が来た!

先週末は近所の学校で卒業式があった。
今年もそんな季節になったのだ。
そういえば私の学校の卒業式は22歳になった春。
卒業証書を東京駅のロッカーに預けてビアホールで乾杯。
地方出身の同級生を最終の列車で見送った。

そのC大学も今は八王子に移転してしまった。
ホームカミングデーのお誘いの便りはあるが未だに行ってない。
何せ4年生の時に学園紛争がありクラブの部室がなくなってしまった。
ピケとロックアウトの張りっこで校舎に入るのが一苦労。
たまに元の校舎付近に行くが面影が全くない。
損保の会社ビルが建っている。殺風景だ。
付近にたくさんあった定食屋や喫茶店は影もない。
隣のM大は駿河台に立派なビルになって健在。
学校経営の明暗が分かれるところだ。

「卒業」を何回か繰り返したがそのたびに感慨が深まる。
人は新しい自分に出会うためにそれを繰り返すのか。
毎日微妙に違っている自分に別れるために。大きな節目のために。
慣れ親しんだ環境から巣立っていく「卒業」。
果たして人間には卒業があるのか?

人間は自然の営みの中から暦を生み出し、折々の節目に変化に名前を付けた。
人間の営みが変わらない自然とともにあるように。

そして今年も桜が咲いた。
つい昨日まで眠っていた桜木が待ちかねたように咲いた。
昨日も今朝も午前中はぼにゃりと花曇り。
近くの公園では春休みとあって子供たちが花の下で大はしゃぎ。
今の日本は幸いなるかな幸せの季節なのだ。
桜だけではなくほかの花々も一斉に花開いた。
「我が世の春」というがまさに勢いのある季節になった。
夜桜見物もよいが、花冷えで長くいると風邪をひきそう。
月明かりに照らされた桜は何とも艶めかしいのだが、
昼に見るものとは全く別物、魔性さえ感じる。

この季節になるといつも本棚から一冊の本を出す。
『サクラは何色ですか?』〜西田幾多郎の思想 大澤正人著 現代書館
・・・古人が花吹雪をたたえた心と、「散華」のしそうのあいだには、
途方もない距離があった。古人は静かに、命の乱舞を見つめていたにすぎない。
「大和魂」というような精神化に対して、われわれはあまりにも無防備であった。
のはどうしてか。当のサクラには惜しむも惜しまないもない。
ただ現れてくるだけだ・・・・。
サクラを見ることっを通してものの「味方」「見え方」を、
実存哲学、西田哲学を蘇らせようとする試みだろう。
難解とされている西田の思想「絶対無」。(今でもよくわからないが)
確かに「サクラ」にとっては人の命のが散っていくのを重ねらるのは心外だろう。
先の戦争では特攻の賛美としての成句に使われたようだ。
人の世の愚かしさの表れの典型。言葉は恐ろしい魔力を持つときがある。

今年のサクラは今週末が花盛りという。花吹雪もいいものだ。
葉桜の新緑も魅力的。サクラ狂いなら日本は縦長北の果てに行けば、
5月中旬まで楽しめるかも。

西行法師の「願わくば花の下にて春死なんその望月の如月の頃」。
たかがサクラされどサクラ・・・・なのである。

toho_sakuma at 17:00 

2018年03月07日
3月7日(水)春一番、二番が吹き荒れていよいよ春到来の予感がする。この頃しかし外に出る時の服装がクルクル変わるのが困るのだ。

先日は文字通り春の嵐が吹きまくった。
まるで台風の様。自転車がちっとも進まなくって困った。
けれどもうすぐ春が来るのだというお約束のこと。
庭の夏ミカンの実が振り子の様に大きく揺れていた。

何故かこの光景には既視感がある。
小学校の校庭の夏ミカンが、季節の頃にたわわに生った実が揺れていた。
春の嵐の翌日。抜けるような青空。吹き返しの風に黄色が鮮やかなダンス。
そんな昔を何故思い出すのか、心とは摩訶不思議。
古い時代の記憶が突然思い出させる、フラッシュバック・メモリー。
まるでサスペンス映画を見ている気になる。

大脳生理学では古い出来事は脳の奥にしまいこまれいるらしい。
(新しいことはすぐに覚えられない)
古い記憶は普段は思い出せないが、何らかの刺激で、
不意に表出する時があると云う。

あの偉大な長編『失われた時を求めて』M・プルーストではないが。
(紅茶とマドレーヌ菓子)
原始的な感覚(味覚・嗅覚・触覚など)が刺激となり、
完全に忘れていた過去の記憶が甦る時がある。
しかも映像や匂い付きで!

小学校の教室、隣の席の同級生の子犬の様な匂い。
特攻隊の生き残りだと云ってビンタ(平手打ち)を得意にしていた教師。
その顔、ホクロ、タバコの匂い、彼のフルネームまで・・・。
これらの事は書きかえられた記憶ではないようだ。

前回のブログで時間について書き散らしていたが、
この頃時間の経つのが加速して早くなってきたようだ。

今まで生きてきた時間とこれからの時間を比べれば、
圧倒的に過去の時間が長いのだから。
それらの時間は私固有の財産でもある。
けれど自分史を書くほど記憶力が良い方ではないし、
そのような表現方法はあまり好きではない。

「雲が湧き起り、水が滔々と流れそして去っていく・・・・」
人を含めた万物が去来するさまを読んだ漢詩がある。
千変万化する時間と空間に生きていく、人間のありようはいかに。
壮大な宇宙の意志があるならば、私と言う人間はどんな存在なのか?

先週の夜久しぶりに満月を観賞。
雲もなくパーフェクトな月夜だった!素敵!
私が生きている時に月旅行の可能性は薄いのか?
行ってみたいような、そうでもないような気がする。
ただただこの地球から見ている方が良いのかもしれない。
その宵、庭の夏ミカンの黄色い実が月明かりに照らされていた・・・・。

toho_sakuma at 17:00 
