東放学園

TOHO会

TOHOKAI
東放学園同窓会のためのTOHO会へようこそ!
今日も絶好調

各地

2019年09月25日

9月25日(水)東京、今朝は気温は高めだが湿度が少ないのでようやくさわやかな秋になった。

それにしても千葉の停電は治ったようだが家屋などの復旧はこれから。
心からお見舞いいたします!

先週末、盛岡でTOHO会が開かれた。

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行きの東北新幹線は、
仙台から東欧系の外国人客がどっと乗り込んできた。
釜石のラグビー観戦で宿泊が取れなかった人たちのようだ。

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今回のTOHO会のもう一つの目玉イベントは市内のサウンドウォーク。
盛岡市内の名所を歩きながら、
その場所固有の音響を感じるというものだ。

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北上川にかかる開運橋からスタートして総勢20名。
天気にも恵まれ宮沢賢治所縁の出版社、南部鉄器の老舗の店、神社。
盛岡城跡、啄木の歌碑など盛岡の街を4時間余りの散策。

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市内は思ったより静かなところだった。
(自販機がほとんど見当たらない)

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風景や固有の場所にまつわる音。
特に南部鉄の風鈴の音色が印象に残った。

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第二部の夜の宴会にも多数参加があった。
八戸や仙台からも1984年卒のOBがわざわざ見えたのには驚き。
20年ぶりに会えた放送クリエイティブ科のYさんは
再会を特に喜んでくれた。
彼は佐久間ゼミ生でもあり、
我が家に遊びに来た時の話を懐かしく覚えていた。
会は2次会でも大盛り上がり。皆さん次回の開催を期待したようだ。

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全国地区地区にわたるTOHO会。
東京から出前で開催している学校は稀有だ。

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学校は社会的にも実質的にも多数の卒業生に支えられている。
現在もその多くの卒業生が財産となり、
親子2代や兄弟縁者まで入学している。
この良きつながり、ご縁を切らさぬようにしていきたいものだ。

今回参加できなかったOBの皆さんも
TOHOとのご縁をよろしくお願いします。
私もできるだけ参加・協力させていただきますので!

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2018年07月11日

7月11日(水)西日本の豪雨被害が拡大しています。OBの方々が再度心配です。一日も早い復興を心よりお祈りいたします。

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ここ数年の日本列島の気候は異変続き、
特に水害の被害が多くなってきている。

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安定した季節感もなく突然のゲリラ豪雨や竜巻。
亜熱帯のようなスコール、何十年に一度が日常化?
河川の氾濫、あっという間の洪水、浸水被害。
今回は猛暑の中の復旧作業で二次被害が余計に心配になる。

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我が家の地区もハザードマップによれば危険地帯。
ゼロメートル地区、昔は湿地帯(蓮の田んぼ)だったようだ。

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何本もの放水路を作って防災しているようだが心配だ。
まして集合住宅の一階なので余計に気になる。
自然の危ういバランスの上に日常が載っているのだ。
まだまだ人間の力が及ばないことだらけだ。

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先週、かつて日本中を震撼させたオウム事件の、
死刑囚7人の刑が執行された。なぜ今の時期に?
一説によると平成の時期がもう終わるからともいう。
しかしまだまだ謎の多いそれら事件とオウムの謎は未決なのに。
名も知れなかった一種のカルト教団が無差別テロに至ったのはなぜか。
形骸化している既存の仏教の現状を背景とした新興宗教。
私たちの精神世界の無関心と同じ地盤にあるかもしれない。
圧倒的な唯物的な消費社会を瞑想や秘儀で批判したオウム。
信仰世界には殉教や排除(ポア)があるとはいえ暴走は許せない。

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人間は強くはない生き物。心のよりどころとしての信教がある。
物のあふれる生活に浸りきっているさなか一連の事件。
わけのわからない不気味な集団として避けていて困惑していた

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あれから20年あまり。宗教と犯罪行為にどんな重層化した意味があった?
その謎めいた事件の究明は真剣に進めたのか。
決して安直な模範解答的なものは出そうもないが、
人間存在の内深くには宗教のような絶対者を願望する部分もあるという。

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いまだに世界は一種の宗教戦争が毎日のようにテロを実行している。
宗教と戦争が同時並行ではないが同じ根幹から発している。
いつの時代になっても宗教はそのような側面を持ってしまうのか。

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かくいう私も仏教徒だが日常的に信心してるわけではない。
子供の頃は日曜法話を近所のお寺に聞きに行って、
目当てのお菓子をもらっていた頃があった。
法話の内容はほとんど覚えていないが地獄極楽の絵巻の説話があった。
閻魔様の大きな怒った顔と針の山の亡者の痛々しい姿が思い出される。
生きている時、悪いことすれば地獄に行くよ。わかりやすい教義だ。
人間存在の危うさを宗教が救済できるのか、魂の安らぎをも。

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年をとるにしたがっても何かと不安や心配事が減らない。
かといって今更何か神や仏にすがるほどでもない日常である。

この夏もそろそろお盆で、墓の掃除に行かなくてはと思っている・・・。

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2018年02月14日

2月14日(水)ここ二三日日差しが暖かくなってきましたが、まだ朝晩は寒さがきつい。先週末、久しぶりの東海地区TOHO会で名古屋に行って懐かしいOBと楽しい一時を過ごした。

東海TOHO会in名古屋で久しぶりに名古屋に行く。

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週末折からの雨降りに関わらず大勢の参加。
居酒屋の二階を借りきって交流会が始まった。
今回、顔ぶれは1970年代と80年代の卒業生がほとんど。
TOHO学園の前身、コンピュータ学院やアナウンス学院の初期のOBさん。
学校も西新宿の明宝ビルに間借りをしていたころだ。
ほぼ半世紀に亘る大きな時間、TOHOの歴史の端緒の頃。
大半の参加者は還暦近くかそれ以上の年齢。
まさに堂々たる同窓会の体だ。

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短い期間の学科だったマスコミ広報科卆のKさんは。
当時のクラブ合宿の写真をわざわざ持って来られた。
私も映って居り、お互い何故か思わず爆笑!苦笑!
クラブ名落伍研楽座!だった。(今でも続いているのか?)
また、アナウンス学院のOGは懐かしい先生方とのエピソードを披露。
71年卒のMさんはコンピュータ学院からUHF局〜TOHO学園の事務。
そして愛知にUターン。今回一番の年長者。彼とは学園時代の同僚でもあった。
今回もわざわざ長野からKさんが参加。
TOHO会のご縁で女性誌デビューされたようだ。

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会の元役員も地元参加したSさん。ものすごく貫録がついた。
放送芸術科卒だが何故か照明系へ就職。今や東海地区では大御所の照明マン。
彼とは二次会で今後の人生、生き方についての濃い会話になった。

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当時、18歳19歳だった彼らとまさかこんな話で盛り上がれるとは!
人生の時間の流れの魔術は摩訶不思議である。
なるようにならない人生。なるようになった人生。
さまざまなドラマが人の数だけ巡っている。
学校、教師はその出会いと再会を旨く演出する裏方。
その役割は歳を重ねた卒業生ほどわかるはず。
卒業生各人の良き思い出のリプレイの場所としても、
TOHO会の存在は言うまでもなく、これからも大きなものになって行く。
参加させて頂くたびにその思いが膨れていく。

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また次の日には私自身の小さな同窓会があった。

卒業して四日市に還った同窓生Iさんが名古屋に来てくれた。

学生時代10人のクラブ仲間たちも半数が逝ってしまった。
この頃の合言葉は生存確認会、または会える時には会っておこう!だ。

この日は快晴強風のなか私のわがままで、
おとなりの伏見にある名古屋市立美術館にいった。
足の具合があまり良くない彼には申し訳ない事をした。
それでもお互いそこそこ生きているのを確認。
食事をして喫茶(2回も入った)良い時間を過ごした。
世間話をしたり近況報告をしたりで、あっという間に時間が経った。
こんどは熱海あたりで同期会をやりたいと思う。

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古き良き友人は現在自分がいる一つの証。

そんな訳で先週末は趣旨は違えどもふたつのOB。
半世紀たっても古き良き人々が同時代に生きていることに、
月日の重なりの偉大さを感じざるを得なかった。

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2017年11月22日

11月22日(水)2年振りに台湾に行きました。TOHO会が開催されました。台北は温かい筈なのに何故か晩秋の様な気温、やや寒く毎日曇り雨でした。

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今年から台湾TOHO会が正式に発足。
役員も決まって今回は19人の出席を数えた。
(会長、副会長、会計の三役が新たに決まった)

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日本国内のTOHO会をしのぐ勢いだ。
それに参加者が皆若い年代が多い。
私が校長をしていた頃のOBも古株になっていた。

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ひさしぶりの台北だがとても街が活気づいていた。
観光客は日本、中国本土、韓国が多い。
近ごろ台湾は韓流ブームでもあり土産屋の看板もハングル文字が目立つ、
私も店で「アニョハセヨ!」と呼びかけられた。
日本でもここしばらく台湾旅行ブーム。
私たちも往路出発は羽田で帰りは成田。
それほど台湾便が混雑しているせいなのだ。
3時間余りの空の旅で台北着!(ほぼ沖縄に行く感覚)
その他の海外はテロやなんやかんやで不人気の様だ。

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しかし、今回は生憎天候には恵まれなかった。
うすら寒い毎日で観光名所の「十分」(じゅうふん)「九イ分」(きゅうふん)はドシャ降り。
それでも観光客で大混雑の様相。
十分での名物「ランタン揚げ」自分の背丈ほどの赤いランタンを、
墨筆で祈りの言葉を書き空に飛ばした。
何十ものランタンが雨空に吸い込まれていく様は気持ちが良い。
もともとは家族に無事帰還したとの合図で挙げていたものらしい。
今は世界的な名物になってしまった。山深いその地が。


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また九イ分では超狭い階段の上り下りの連続。
色々な店やがぎっしりと詰まっている中、
人にぶつからないように混雑の中を歩く。
八角だろうか日本ではまずない匂いの洪水だ。
いやではないが、すぐに慣れる嗅覚のいい加減なところ。
あのアニメでおなじみの(モデルになった店)でお茶を飲む。
すぐそばには古い映画館が保存され名画を上映していた。
売店には古き昭和の商品ショーケースが在り郷愁を誘っていた。

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話は戻るが台湾TOHO会の主力メンバーはほとんど女子。
皆さんそろってパワフルなのだ。
チョッとアメリカな感じのサクセスストーリを感じた。
女子がこんなに元気ななところは見習うべきか。

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五万人を超えるTOHOの卒業生!
全学科合わせても百人ほどの賃貸ビルで40年前(新宿明宝ビル)。
今や日本だけでなく韓国、台湾、中国、等など、
アジアにまで進出するとは想像できなかった。
やがて50周年を迎えようとしている。
隔世の感、ありだ・・・。

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今日本は空前の少子化である。
専門学校も募集に苦労している。
それゆえ海外留学生が増えるのは、
色々な面で良いことだ。インターナショナルになって行くのは当然。
TOHOの世界に通じる高い技術や、伝統を知らせる機会をもっと広げよう!
そして卒業生も在校生にも満足の出来る学校であるように望みます。

これからも海外を含めてTOHO会がその大きな役割を果たしていくように祈ります。

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2017年01月25日

1月25日(水)寒さの強まる東京を離れて、沖縄TOHO会に参加!

温暖で良いのかと思ったが、14〜5℃と期待したよりズーッと寒かった。
3時間も飛んで南下してガッカリだったが会は大盛況でした。

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TOHO会に先立ってもう恒例になっている、
サウンドウォークin沖縄が同日に開催された。

わたしは金沢、奈良と参加して今度は3度目の経験。
OBの役員中間さんのプロデュース。
「日本サウンドスケープ協会」から3人の会員が参加された。

この協会では日常の光景から音響だけを取り出して、
普段聴き逃しているさまざまな音たちをクロ―スアップ。
そこから音の風景が新たにたちあがってくるのを確認・再評価していく。
人は日常生活では視覚に頼っていることが多い。
情報の70%以上は目からとり込んでいるという。

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この会では沖縄県中部(壺川〜嘉手納〜首里〜波の上)を歩いた。
生憎嘉手納基地ではジェット機の発着は無く付近で行われていたイヴェントの騒音。
首里では小高い丘の石畳みの小路を散策。所どころに湧水スポット。
仄暗い森の小道は、深閑として思索にふけるには良いところ・・・。
・・・知らない土地を旅する時に、サウンドウォークのような目的を持って
その地を歩いてみます。その土地の気配ひとつにしても違うものなのです。
感性を生かして音を聴き、その土地固有の音や景色に思いを馳せることで、
音の風景を再認識することが出来ます・・・(中間さんのコメント要訳)

慌ただしく生活している日常から、ひとつ耳を澄ませば、
また違った音の映像を観ることが出来る・・・。

この会のOBの奥深さを観ることが出来た。
音響の専門家のまた違う顔を発見する。中間さんありがとうございました。

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さて夕方からは宿泊所のホテルの宴会場でTOHO会。
このところ10名以上の参加者が続いている。
半数のOBはわたしを覚えていてくれた。
何十年もお会いしなくてもどこかに当時の面影が伺える。
その頃は記憶力も良くほとんどの学生をフルネームで覚えたものだ。
今では昨日会った人の名前すらおぼろげなのだ。
二次会もほとんどの人が参加した。
スマホのバックライトでカクテルの色を鮮やかに演出したり、
基地問題の裏の裏側を取材したOBが公式には決して出ない話をしてくれた。
そーだったのかと想わず話に引き込まれてしまった・・・。

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二次会も盛り上がりやがてお開き。表に出ると舗道が雨でぬれていた。
やや暖かな夜風が心地よかった。

今回は学園からの参加者は2人(事務局の福田さんはインフルエンザで急遽NG)
何時も裏方に徹してお世話してくれる人がいないと寂しいものだ。
TOHO会からは中間さん、札幌の手塚さん、小河原会長の3人。

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事務局長の佐藤 生先生の手作りのTOHO会のペナント看板が印象的だった。

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今年の地区TOHO会の予定はまだ出ていないが、
機会があればまた参加させて頂きたいと想っています。

5万数千人を越えるOBの輪がこれからも大きく強く広がることを期待します!

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2016年07月13日

7月20日(水)先々週、夕方寒気がすると思ったら体の震えが止まらなくなり、なんと40度の高熱!

2日間熱が引かず寝たきり状態、辛かった。
油断大敵、熱茫々で典型的な?夏風邪だったのだ。
それでも先週仕事で札幌出張。2日間。
そこは、蒸し暑い、梅雨明けしない東京とは別天地。
なんてカラッとしてすごしやすい陽気なのだ!

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この時期はひと月ぐらい住んでみたい気がする。
街中でも日陰に入るとヒンヤリとするぐらい。
それでも昔より気温が上がっているみたいだ。
クーラーなしの夏が今や何日か使うようだ。
温暖化が進んでいるようだ。

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米作の北限もだいぶ北に上がっていて、
ゆめぴりかなどおいしいコメが採れるようになった。
しかし北海道も人口減少をしている。
札幌都市部に集中しているようだ。
石炭や材木など資源産業が衰退。
あの北海道拓殖銀行(拓銀)が今やもうない。
(タクギン!懐かしい響き)
一部産業を除いて観光事業化している現状。

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時間があったので朝、二条市場を覗いてみると、
お約束のように中国人観光客が観光バスを連ねて、
市場の食堂で豪華な朝飯を食べていた。
我々日本人はせいぜい2、3千円ぐらいしか使わないが、
彼らは一人毛ガニ一杯(1万円位)と4、5千円の料理、お酒・・・。
北海道経済もこれで潤えばいいのかも。

仕事も無事に終わり夕方学生時代の札幌在住の友人と飲んだ。
大きな居酒屋で結構満員状態で流行っている店。
わたしたち学生時代の仲間内では「会える機会があったら無理しても会おう!」
10名の仲間が早くも6人になってしまった。
「生存確認だな!」とは笑えないジョーク。
幸いサッポロの彼は今でも高校の非常勤講師をしていて、
相変わらずすこぶる元気そうだった。
元気が何よりなのだから!

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帰京の朝、早めにホテルを出て、
バスで近代美術館に行く。
通常展示を観て回った。館内は人影も少なく快適、写真撮影もOK。
おまけに65歳以上は無料なのだ。
北海道に所縁のあるポスター展が面白かった。
もちろん地元の画家の作品もじっくり見ることが出来た。

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帰路、羽田に着いた途端に雨模様。
若し暑い梅雨が待っていた。

OBの皆さんも夏風邪にには十分ご注意を!
それにしても東京に梅雨明けはまだかな〜。

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2015年11月25日

11月25日(水)今日の東京は朝から冷たい雨。一気に冬が来たような気候です。先週末の台湾も小雨で結構涼しく、この季節は気温が乱高下するそうです。

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先週末、台湾TOHO会が開かれた。

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今年で3年連続でお招きを受け、
当地OBの皆さんと久しく交流させて頂いた。
アナウンス学院のOBが多く出席され、音響技術・放送芸術科も多くなった。
東放学園も今や少子化の影響で海外の留学生を多数受け入れている。
あと何年かのちには東南アジアの学生が当たり前になっているかも。
参加者は圧倒的に女子が多く、TOHOでのキャリアを生かして活躍。
とても頼もしかった、それに着けても日本語が上手い。
語学は若いうちにと言うが本当だ。

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会話の中で台湾の人口も減少傾向との話。
もう一つの中国に、のみ込まれるのを感じて
海外に居を移す人が増えているとか。
街中では声の大きな中国人観光客が多く見られた。
ファッションセンスも微妙に違うようだ。
台北の故宮博物院もその観光客で連日満員なのだ。

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今回は一昨年に訪れた基隆港を見下ろす観光地。
九イ分は映画『千と千尋の神隠し』『悲情城市』
ですっかり有名になってしまった。
丘の上に密集する高低差の多い路地街。
当日は日曜日とあって細い道をはみだしそうになって歩いた。
独特の香辛料の匂いに満たされ、
やはり異国だなあと思う。
何故か欧米人観光客の姿は見えない。
きっとこの匂いが彼らには苦手なのかも。

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今年は『千と千尋の・・・』モデルになった建物で
高級な香りの良いウーロン茶をいただいた。
港の景色を観ていると会場から怪しい雲。
あっと言う間に雨模様。
急きょビニールの雨合羽を買う。
外に出ると目の前に昔の映画館があった。
九イ分は昔金山があってその抗夫さんの娯楽施設。
中では昔の映画を上映していた。
場内には懐かしい35ミリの映写機が、
映画が娯楽の王さまだった頃を偲ばせていた。

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このところご縁があって台湾に行く機会が多い。
台北市内を歩いていると少しずつ街並みが変わっている。
現代的なビルのすぐ裏道には築5、60年の古びた建物が併存。
それも妙にマッチングしている。
看板の文字はいわゆる旧漢字、懐かしい!
本土は簡略文字だがここはまだスタイルを捨てていない。
文字は文化だと思う、歴史の積み重なり。
簡略化して利便性を追求するのもまた文化の在り方だろうが、
「書」をかじる者としてはなんともここの文字は心地が良いのだ。
それにこの地は懐かしい良き昭和の匂いがするのだ。

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こんど機会があったらゆっくりとこの地の文化を旅してみたいと思う。

時は流れ・・・東放学園も海外でOB会を開催するとは、
開設当時はまるで思いもしなかった。

台湾のOBの方々の今後のご活躍をお祈りします。

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2015年11月16日

11月15日(日)このところ週末雨降り模様で寒い。幸い今日は久しぶりの晴天で晩秋の散歩を楽しんだ。いつも行く河川敷は釣り人や散歩する人が多かった。

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先週、日光へ行った。
浅草から東武ロマンスカーに乗る。
行楽のシーズン、紅葉の時期なのでほぼ満席。
今日は日光カンツリー倶楽部で久しぶりのゴルフ。
今回はKさんのホールインワン10周年記念の会。
「あれから10年もたったなんてね・・・」
皆口を揃えて「そんなになるんだ!速いね、昨日のようだ」と。

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いろんな名目で集まってワイワイとゴルフなんぞやるのもいいものだ。
男体山を見上げながら秋の一日、羽を伸ばして楽しむ。
昼食時のクラブハウスは高齢のジェントルマンが談笑していた。
皆さん、倶楽部ライフを満喫しているようだ。
このところはゴルフのスコアより、
皆で集まりコースの季節を楽しむ方になっている。
(もちろん若いころより飛ばなくなった)当たり前か!

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帰りにいつものように浅草で食事会。
ゴルフの反省会などではなく世間話を肴に軽く一杯。

店の中から隅田川を挟んで対岸にスカイツリーが見える。
夜になるとライトアップして幻想的なシーン。

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このメンバーたちはみな還暦を過ぎた面々だった。
皆、音響業界の繋がりのご縁。
レコーディングミキサー、音響機器屋さん、PAの先生。
30年来の付き合いである。
もちろんTOHOの初期からお付き合い頂いているのだ。
OBの進路に大きな役割を持っておられる。
(この方々にお世話になったOBはたくさんいる)
みなさんその方面で大きな影響力をお持ちなのだ。

こうしてたまに口実を見つけて会えるのも嬉しい限りだ。
これからも皆で楽しい会を続けられたら良いと思う。
監事のYさんセッティング有難うございました。

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先週末、東京・市ヶ谷の私学会館で「放送派遣セミナー」が開かれた。
制作会社・放送局・学校が参加300名近くが集まった。
テーマは改正派遣法の勉強会。
このところ本法律は猫の目のように変わる。
派遣人口の割合はそれほど大きくないが、
放送業界はプロダクション制作が多く、
派遣に頼らなくては成り立たない。
放送局もその重要性気付いているのでセミナーには、
全国規模で参加してくる。

今回の法改正は、契約期間を超えると
その人間を交代させなければいけない。
そして人が変わればその職は続けられるという。
ベテランが育たない仕組みだ。
国は大企業優先の「人の使い捨て」を目指すのか。
本来特別の技能を持ったプロ集団(特に放送は)だったのに、
利益最優先、人を大切に扱わないとは情けない。
勉強会では労働局、社労士の実務対応講座があった。
6時間にわたる会も無事終了。
北海道や沖縄からも参加されたみなさん、お疲れさまでした!

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今週末はフランスのパリ同時テロ!悲惨!!
憎しみの連鎖がテロリズムを生むようだ。

いつも世界では難民、テロ、戦争。
人間は少しも賢くなっていない。
過去の歴史から反省や学習をしても無意味なのか。
有史以来戦争という愚行を繰り返している。
人間という存在自体が不思議に思えてならない。

犠牲になった方々のご冥福を祈ります・・・。




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2015年07月30日

7月29日(水)夏もいよいよ本番です。OBの皆さんはお元気でお過ごしでしょうか?東京も夏は毎年のように真夏日が増えています。温暖化から亜熱帯化へ・・・?

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先週末、用事があり宇都宮へ行った。
降り立った途端スポット豪雨。
ものすごい勢いで降りだした雨に、
皆さん茫然と雨宿り状態。
こんな光景は今年2度目だ。
用事も済んで表に出たら嘘の様な青空。
駅前で名物の餃子をつまんで電車に。
東京まで新幹線で1時間足らず。
「地方」が本当に近くなって来た。

仕事で週一ぐらいの割合で赤坂に来ている。
赤坂も大きく変わっている。

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50年前学生時代にアルバイトでお世話になったTBS。
周りにはロクに食事するところも少なく、
一つ木通りは閑散としたローカル商店街。
食事はもっぱら社員食堂だった。(6階の食堂、六食)
窓から見渡せば、しもた屋風の家並みが残っていた。
山王神社が見渡せ、路地裏には料亭。
何時も黒塗りのハイヤーが止まっていた。
黒板塀・待合政治と言う言葉があった。
これらの料亭で政治が決まっていたらしい。
やがて40年前くらいから街の相が変化して行った。
最初は日本初のレストランシアター「ミカド」ができ、
ラスベガス並みの食事とショーを楽しめた。
そして韓国人たちが進出、コリアンタウンが出来た頃から、
また様変わりをしていった。

本当に街は生き物の様に変化していく。
この地は驚くほど飲食店が多い。
しかし家賃が高くよほど繁盛しなくては維持できない。
早い店は3か月も持たずに撤退してしまう。
ランチ時はどの店も満員なのに、
(NTTのビルが出来てから一層)
夜はそれでも高級店が今でも残っている。
そして昨今はチャイナタウンが勢力を増しているようだ。
街中の会話はもはやインターナショナル。

赤坂は私にとっては、仕事的にも第2の故郷の様なところ。
でもなぜか肌が合わないのだ。

赤坂と言うがそんな坂は無い。
有名なのは乃木坂。
一番低い土地、溜池から乃木坂に向かって、
徐々に上っている。
そう云えば先週行った日比谷は昔、海で入り江だった。
東京の歴史は埋め立ての歴史とも言える。

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先日10年前に買った、中沢 新一著『アースダイバー』講談社 を再読。

・・・「縄文地図を持って東京を散策すると、
見慣れたはずのこの都市の相貌が
一変していくように感じられるから不思議だった。
どうして渋谷や秋葉原は
こんなにラジカルな人間性の変容を
許容するような街に成長してしまったのか。
猥雑な部分を抱えながら
新宿がこれほどのバランス感覚を
保ち続けていられるのはなぜか・・・・・・・」

大阪・京都・奈良よりずーっと新しい街。
それでも古いものをそぎ落とし、
常に新しさを求めるデジタル都市。
絶え間ない変化の中で、
わたしたちは何を得て何をなくして行ったのか。
わたしの「永く続く夏休み」の課題でもある。

今日はこの赤坂でも朝から蝉しぐれが、かしましい・・・。

そんな訳で盛夏お見舞い申し上げます!

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2015年07月08日

7月8日(水)今年の梅雨は何か変だ。もう台風が三つも来ている。

昨日の七夕は残念!今日も朝から梅雨空、
今年は梅雨明けが遅いとの予報、傘が手放せない毎日である。

金沢集合写真


先週末金沢に行った。

北陸TOHO会in金沢が開催された。
久しぶりに二桁の参加者で盛り上がった。
お隣の富山県からも多数来られた、有難うございます。
北陸地区の担当委員 南さんご苦労様(事務局の方も)
かなり一生懸命OB達にTelしたようだ。エライ!

金沢はこの春から新幹線が開通。
行きも帰りも満員、車両は新車の匂いがした。
心無しか座席が広いように感じた。

5万人を超えた卒業生の方々、その何%でも。
地区の集まりに参加して頂いている。
伝統校と言われる学校は、歴史はもとよりOBの方々の、
母校に対する「想い」だろう。
想いとは様々だが、
良くも悪くも沢山のエピソード記憶があることだ。
過ぎ去って見れば
ほとんどが懐かしい思い出に変容することが多い。
友人、教師、授業・・・その思い出の三大ファクター。

参加者の自己紹介では
学校で学んだことを生かした職業の方が多い。
最年長OBB・元本校教師 作島さんもお元気そうだ。
ずいぶん前にUターンされ放送関係の仕事をされている。
奥様もTOHO・OBなのだ。
結婚式に招かれたのは昨日の様に思いだされる。
学生時代から35年以上のお付き合いになる。

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こうして今でも昔のOBがたにお会いできるとは。
なかには私が来ると云うので参加したOBも何人かいて、
ありがとう!!本当に教師冥利に尽きます。

同業他校の地方OB会は今いち盛り上がらないとの噂。
TOHOは良きOBに恵まれているようだ。

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話は変わりますが、ご当地金沢は新幹線効果テキメン!
七夕直前とあって、駅前はヒトでいっぱいだ。

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TOHO会の当日行われた
”サウンド ウオーク in 金沢”で街歩き。
兼六園をスタートして、ひがし茶屋街〜浅野川〜蓄音器館。
その間、聞こえる音響をひたすら注意深く聴く催しなのだ。
兼六園では土曜日とあってひたすら人の声。
なかでも中国人観光客の声が注意を引いた。
もっと人の来ないときに自然音を聴きたかった。

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蓄音器館では昔懐かしいSPレコードを試聴。
SP盤は子供の頃蓄音機にセットして聴いていた。
動力は手回しのばね式。
毎分78回転、その後電気蓄音機(電蓄)となって行った。
ただただ懐かしいレトロな佇まいの博物館だ。
この付近には泉鏡花記念館などがあり、
街歩きには最適なところかも。

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何度も金沢を訪れているが奥が深いのには驚く。
東京から転勤していた知人が定年で、
この地を終の棲家にしたのも頷ける。

これからも地区TOHO会は全国を回る予定とか。
OB達が地域でしっかり根を張り、
今後のTOHOを支えてくれることを
大いに期待しています!

今年も地区TOHO会に呼んで頂き感謝いたします。

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toho_sakuma at 17:00 この記事をクリップ!
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