2018年08月22日
8月22日(水)先週末は涼しい日があってホッと一息ついたのもつかの間。今週はまた酷暑が。暑さ寒さも彼岸までというがまだ8月。今週はアベック台風で残暑がぶり返しています。
涼しい日が続いた先週末、旧江戸川の篠崎水門に行く。
ママチャリでいこうと思ったが、家の近くからバスが出ているので
楽して小さな旅(30分ほどの)を楽しむ。
運転手は若い女性。水門の付近の駅を聞いて確認。(ご親切ありがとう!)
終点近くの駅で降りて目の前の土手を上ると、
水門が見えた、正式名称は江戸川水閘門。
戦前(昭和18年)にできたようだ。
春先は花見の名所土手沿いにサクラが満開で風情溢れるところ。
今日はその土手沿いにバイクが何台も走っていた。
一方、歩きの私は江戸川を渡る涼しい風に任せてブラブラ。
お目当ての水門。間近で見ると築75年のなんとも言えない風情。
現在でも洪水対策としての役割を果たしている。
それゆえ「遺構」ではなく古い建造物なのだ。
なぜか私は「水門」が好きなのである。ダムより水門。
水を制する者は国を制する。中国の諺か。
我が家の一帯はほぼゼロメートル地帯。何本もの放水路がある。
江戸時代から川の氾濫との戦いがあったのだ。
そんな歴史を考えなくても川の要所要所に水門が唐突にある。
その役割よりも佇まいが様々でそれぞれの格好が好きだ。
江戸川は利根川の分流として江戸時代(文字通り)に河川となったらしい。
数百年前に大規模な治水工事があったのはすごいことだ。
そうして江戸の町は繁栄していったようだ。
家の近くの資料館でそのころの地図を見た。
側書きに『・・・時間と空間の奥深い世界に心開けば、
地図に描かれた線は単なる線ではなく脈々として脈打つ。
人と大地とのたたかいの鼓動を一身に集めた、実に
重い意味を持った線として映ったはずである』
(水の文化史 外山和子より)
そうして地図の境界線は絶えず変化している地球規模でなくても、
日本の都市は埋め立て拡大の歴史かもしれない。
「ブラタモリ」でよく取り上げられているが。
とにかくいつも気になっていた篠崎水門をじっくりと堪能した。
黒っぽくなってしまった昭和・戦前のコンクリートの質感、風情あり。
真夏の川辺の昼下がり。人影皆無蝉しぐれの中。南無唯一存なんてね・・・。
家に帰ると早速、高校野球観戦タイセイに入った。
世間はお盆休み。ヒマ爺の何でもない日常でした!