2018年03月28日
3月28日(水)今年、東京の桜は少し早咲きのようだ。家を出るとそこらじゅうの桜が咲き誇っていつもより景色が明るく華やいで見える。朝晩はまだ少し寒いが待望の春が来た!

先週末は近所の学校で卒業式があった。
今年もそんな季節になったのだ。
そういえば私の学校の卒業式は22歳になった春。
卒業証書を東京駅のロッカーに預けてビアホールで乾杯。
地方出身の同級生を最終の列車で見送った。

そのC大学も今は八王子に移転してしまった。
ホームカミングデーのお誘いの便りはあるが未だに行ってない。
何せ4年生の時に学園紛争がありクラブの部室がなくなってしまった。
ピケとロックアウトの張りっこで校舎に入るのが一苦労。
たまに元の校舎付近に行くが面影が全くない。
損保の会社ビルが建っている。殺風景だ。
付近にたくさんあった定食屋や喫茶店は影もない。
隣のM大は駿河台に立派なビルになって健在。
学校経営の明暗が分かれるところだ。

「卒業」を何回か繰り返したがそのたびに感慨が深まる。
人は新しい自分に出会うためにそれを繰り返すのか。
毎日微妙に違っている自分に別れるために。大きな節目のために。
慣れ親しんだ環境から巣立っていく「卒業」。
果たして人間には卒業があるのか?

人間は自然の営みの中から暦を生み出し、折々の節目に変化に名前を付けた。
人間の営みが変わらない自然とともにあるように。

そして今年も桜が咲いた。
つい昨日まで眠っていた桜木が待ちかねたように咲いた。
昨日も今朝も午前中はぼにゃりと花曇り。
近くの公園では春休みとあって子供たちが花の下で大はしゃぎ。
今の日本は幸いなるかな幸せの季節なのだ。
桜だけではなくほかの花々も一斉に花開いた。
「我が世の春」というがまさに勢いのある季節になった。
夜桜見物もよいが、花冷えで長くいると風邪をひきそう。
月明かりに照らされた桜は何とも艶めかしいのだが、
昼に見るものとは全く別物、魔性さえ感じる。

この季節になるといつも本棚から一冊の本を出す。
『サクラは何色ですか?』〜西田幾多郎の思想 大澤正人著 現代書館
・・・古人が花吹雪をたたえた心と、「散華」のしそうのあいだには、
途方もない距離があった。古人は静かに、命の乱舞を見つめていたにすぎない。
「大和魂」というような精神化に対して、われわれはあまりにも無防備であった。
のはどうしてか。当のサクラには惜しむも惜しまないもない。
ただ現れてくるだけだ・・・・。
サクラを見ることっを通してものの「味方」「見え方」を、
実存哲学、西田哲学を蘇らせようとする試みだろう。
難解とされている西田の思想「絶対無」。(今でもよくわからないが)
確かに「サクラ」にとっては人の命のが散っていくのを重ねらるのは心外だろう。
先の戦争では特攻の賛美としての成句に使われたようだ。
人の世の愚かしさの表れの典型。言葉は恐ろしい魔力を持つときがある。

今年のサクラは今週末が花盛りという。花吹雪もいいものだ。
葉桜の新緑も魅力的。サクラ狂いなら日本は縦長北の果てに行けば、
5月中旬まで楽しめるかも。

西行法師の「願わくば花の下にて春死なんその望月の如月の頃」。
たかがサクラされどサクラ・・・・なのである。
