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今日も絶好調

2018年02月28日

2月28日(水)今日で2月が終わる。明日から春3月になる。天気予報では関東は雨風がとても強いとのこと。春の嵐らしい!?外出予定があるのだが・・・

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近所の公園の小川にカモが一羽浮かんでいた。
近づいても逃げはしなかった。
ゆったりとした川の流れに身を任せている。
「ゆく川の流れは絶えずして…」か。
まるで静かに時が流れていくようである。

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先日、『時間論ノート』ルネッサンス・アイ  川田彰得 著

を読み終えたばかりだ。「時間」に関する書物は意外と多い。
かくいう私も20冊ほど持っている。
あの中世の哲学者アウグスチヌスの有名な言葉が何時も思い出される。
「いつもは時間に関しては知っているようだが、改めて問われると答えに窮するのだ・・・」

それほど昔から『時間』に関しては人々の解釈を惑わせる存在の様だ。

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物理学では数式Tと表しその存在わ先験的に固定している。
アインシュタインは相対性理論では、光速に近づく速さでは時間は
伸びちぢみすると云う「ウラシマ効果」?
また心理学では人間は退屈な時ほど長く感じ、楽しい時は早く去るという。
『時間ノート』の作者は外科医。時間との戦いの職業。
その彼が何十年も問うているのが「時間とは?」だ。
門外漢の彼の著作によれば万巻の書を読み、いまだに謎であると。
時間空間→時空は三次元に住む私たちには感じることが出来ても、
その存在が何であるかをつかむことが出来ないらしい。

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私自身はその影は空間の変化としてしか見られないと思っている。
または存在の変移。時計はそれらを区切る約束事の機械。
「時間の矢」と言う言葉がある。
その矢は常に一方にしか進まない。時間は過去には流れないのだ。

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SFでタイムマシンで時間旅行の話があるが。
理論的には未来に行くより過去の方がむづかしいと言う。
過去は、瞬時に消滅した出来ごとの積み重なりで、膨大な質量があった。
終わったものたちを再構成させて再現させ、そこに行くのは
無限のエネルギーを必要とされるからだと云う。
「時間の重さ」「歴史の重み」と言う言葉が重なる。

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川の流れの源流を遡っても、それは過去をたどった訳でもなく、
何時まで経っても現在の行為の一環なのだ。

その現在を突き詰めると「刹那」という表現に出会う。
超微分化された現在。一瞬の現在・・・禅問答の様だ。
今と過去の分岐点なのか?

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『ゾウの時間ネズミの時間』本川達雄著 中公新書
いまだに多く読まれている名著。
動物はOのサイズにより一生に心臓が打つ回数が違うが
体重当たりの総エネルギー使用量は変わらないと云う。
これも時間論の変格化された物語の一端。

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いわゆる三次元に住む生き物は、四次元を流れる「時間」をつかめない。
そういえば家の犬もいつもハァハァといっていた。
人間を除く生き物は時間と言う言葉を使わない。
死期が迫った猫はいつの間にかいなくなるという。
かつてわが家の猫もそうだった。

ある時間論の物理学者は「時間は存在しない。その都度の現在の重なりである」
現在、今だってとらえようもない現象なのに、
過去は記憶であり毎日その都度更新される自分の物語かも。
未来はあらまほしき(あって欲しい)自分勝手の先の想い。イメージ。

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正当な時間論はとても難しいのが分かる。

そんな思いが通り過ぎてフッと我に返ると、
とっくにカモさんは流れに身を任せて下流に去ったようだ。

公園の時計を何げなく見るともう4時近く。

(歯医者に行く『時間』ですよ!)・・・・AH!!

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toho_sakuma at 17:00書籍 | 風景 この記事をクリップ!
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