2016年06月08日
6月8日(水)東京もいよいよ梅雨入り。けれど今日は昼過ぎから陽が照って、良い感じに。でも油断は禁物

ここ二、三日東京は梅雨寒(つゆざむ)。
外出は長袖を着てお出かけなのだ。

今年はヨーロッパ中部地区、フランス、ドイツ南部、ベルギーで洪水被害。
なんとパリではセーヌ河の一部が氾濫、100年ぶりとか。
ルーブルやオルセー美術館は休館。収蔵品は無事避難したようだ。
この頃、世界いたるところで何年に一度規模の自然災害が起きている。
氷河期(ズーッと先だが?)に至る道を地球が歩んでいるのか?

先日、東放学園映画専門学校からゲスト講義の依頼があった。
いわゆる七夕講師(年一、二度)を務める。
対象学生は一年生、グリーンボーイ(ピカピカの新入生)。
講義内容は以前にも扱ったA・タルコフスキーの作品と技法。
30年以上前に彼の作品に魅了されてほとんどの作品を観た。
その頃「日本タルコフスキー協会」と言うおそろしくコアな団体に入会。
極めてまじめな研究者の集まりだった。そしてレベルが高い。
その当時、あの黒澤明監督も彼と会い、『惑星ソラリス』を絶賛していたほど。
わたしは『惑星ソラリス』を満員の岩波ホールで観て感激。
主人公のトラウマ(心の傷)や無意識を実体化してしまう謎の惑星ソラリス。
そして亡き妻が宇宙船に忽然と現れる。
まるで『四谷怪談』のようだ。しかし亡霊ではなく「彼女そのもの」なのだ。
彼はそこで二重の苦しみを背負うのだ・・・・。

タルコフスキー監督の技法の一つに長廻しがある。
一つのシーンを延々とワンカットでカメラを回していく。
しっかりとした構図とカメラマンの腕。役者の演技力が絶対条件。
観客はひたすら画面を見続ける。凝視する。
余りにゆったりしたリズムに思わず眠りに誘われる。
映画は白日のもとに観る創られた夢。
そしてまた監督の夢に夢を見させてくれる。
観る者は自分の夢(無意識)に導かれていく。

今回は『ノスタルジア』1983年ソ連・イタリア合作品を鑑賞。

まるで中世の絵画を観るような圧倒的に美しい映像。
旧ソ連からイタリアに来たノスタルジックになっている小説家の主人公。
世界はもうすぐ終末を迎えると云う変人扱いのひとりの村人。
それを予感させる極めて移ろいやすくも儚い風景美 火、水、靄の揺らぎ。
はたして彼らに本当の意味での償いと赦しはあるのか・・・。
すぐれた映像作家の彼は前作『ストーカー』1979年ではチェルノブイリの悲劇を予感していた。
『サクりファイス』1986年が遺作となってしまった。

先週は講義の準備で関係の書籍を再・再読。
難解な作品、学生さんたちにはこの作品の映像感覚を覚えて欲しいと思います。
次号はその報告も・・・。
