2015年09月24日
9月24日(木)今年のシルバーウィークは毎日のように秋の青空が見られた。今年は遠出もせず、散歩、図書館、家事、録画していた番組を観たりであっという間に過ぎてしまったようだ。
連休の中日ごろの昼下がり。
自転車(ママチャり)で荒川の河川敷へ。


夏のような日差し、うっすらと汗ばむ陽気、風が心地よい。
河口から4〜5キロぐらいにある水門とその遺構をたどる。
この辺りに廃屋のような釣り小屋がある。
今回ものぞいてみようとチャリを押しながら、
まだ夏草の茂る小道をガサガサ進むと
嬉しい事に小屋は健在だった、でも誰かいたのだ。
「おじゃまします!」と声を掛けると、
同年輩位のオジサンがビールを飲んでいた。
「今日は小潮で小魚が少ないから釣りは止めだ・・・」
早々と釣り竿を畳んで一杯やっていたようだ。
「これから周りの草刈りをしておしまいだ」
聞けばこの小屋は20年ぐらい前に自分で建てたそうだ。
3×5mぐらいの広さ、どうして充分立派なものだ。
付近に点在するホームレスのそれよりしっかりしている。

世間話の中「来年70歳だからもう仕事を上がりだな」と
創設当時の仲間は少なくなりメンバーが若くなったそうだ。
学生時代にお世話になった先輩が、
「60年安保」闘争の後に私に言った。
『何所か知らない地方都市に行って工場で働き、休日には子供と
釣りに行く。晴耕雨読、何でもない人生を送りたいな・・・』と。
真面目で何事にも真剣に取り組む人柄、学生運動もそうだった。
現在「安保法案」反対、ラップにのせて歌う。
様変わりか?その昔、自由民権運動で川上音二郎はバイオリンで、
歌いながら訴えたという「オッぺケペー節」もノリは良かったらしい。

オジサンとの会話中そんなことが突然思い出された。
先輩は元気でいるのだろうか?
草刈り鎌を手にしたオジサンに別れを告げて、
帰路、近所の図書館で小沢昭一の本を借り出す。
その中でこんな俳句が気にかかった。
多芸、多遊から到ったひとつの境地か
もう余禄 どうでもいいぜ 法師蝉 変哲
気がつけば彼岸花(曼珠沙華)が終わろうとしていた。

自転車(ママチャり)で荒川の河川敷へ。


夏のような日差し、うっすらと汗ばむ陽気、風が心地よい。
河口から4〜5キロぐらいにある水門とその遺構をたどる。
この辺りに廃屋のような釣り小屋がある。
今回ものぞいてみようとチャリを押しながら、
まだ夏草の茂る小道をガサガサ進むと
嬉しい事に小屋は健在だった、でも誰かいたのだ。
「おじゃまします!」と声を掛けると、
同年輩位のオジサンがビールを飲んでいた。
「今日は小潮で小魚が少ないから釣りは止めだ・・・」
早々と釣り竿を畳んで一杯やっていたようだ。
「これから周りの草刈りをしておしまいだ」
聞けばこの小屋は20年ぐらい前に自分で建てたそうだ。
3×5mぐらいの広さ、どうして充分立派なものだ。
付近に点在するホームレスのそれよりしっかりしている。

世間話の中「来年70歳だからもう仕事を上がりだな」と
創設当時の仲間は少なくなりメンバーが若くなったそうだ。
学生時代にお世話になった先輩が、
「60年安保」闘争の後に私に言った。
『何所か知らない地方都市に行って工場で働き、休日には子供と
釣りに行く。晴耕雨読、何でもない人生を送りたいな・・・』と。
真面目で何事にも真剣に取り組む人柄、学生運動もそうだった。
現在「安保法案」反対、ラップにのせて歌う。
様変わりか?その昔、自由民権運動で川上音二郎はバイオリンで、
歌いながら訴えたという「オッぺケペー節」もノリは良かったらしい。

オジサンとの会話中そんなことが突然思い出された。
先輩は元気でいるのだろうか?
草刈り鎌を手にしたオジサンに別れを告げて、
帰路、近所の図書館で小沢昭一の本を借り出す。
その中でこんな俳句が気にかかった。
多芸、多遊から到ったひとつの境地か
もう余禄 どうでもいいぜ 法師蝉 変哲
気がつけば彼岸花(曼珠沙華)が終わろうとしていた。
