2015年08月06日
8月6日(木)今日も東京は朝から暑い。連続猛暑日の記録だが、嬉しくはない。2050年ごろは京都の紅葉の見どころ時期は12月になるとか、亜熱帯化が進んでいるらしい。

「うらめしや〜」
黙っていても暑いこの最中。
昼下がり、蛮勇をもって上野まで涼みに行った。
「うらめしや〜、冥途のみやげ 展」を観に。
上野駅公園口から徒歩10分余り。
汗を吹き拭き、東京藝術大学美術館に着く。
館内は当然のように薄暗く、それでもそこそこ人は入っていた。
夏の真っ盛り幽霊画を観るのも一興か。
三遊亭圓朝〜明治期に怪談話の名話手として知られた。
「怪談牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」「怪談乳房榎」・・・。
台東区谷中の全生庵の幽霊画コレクションが中心だ。
永い黒髪の女性、足の見えない、透けている幽霊画の創始者は、
かの、円山応挙なのだそうだ。
改めて応挙の画を観ると恐ろしい表情ではなく、むしろ優しげ、儚げ。
少し憂いを含んだ美人画である。
そして腰から下がうっすらとし始めそして透けて無くなっていく。
何か人間存在の妖しさと儚さを表現。
西洋の騒がしいゴースト達とは対極的だ。
どこまで行っても即物的なゴシックロマン。
日本の幽霊のテーマをなす言葉は「うらみ」。
それが美に変化を遂げていくのが錦絵に見られる。
葛飾北斎、曽我蕭白、河鍋暁斎、月岡芳年・・・。
幽霊は妖怪と違ってもとも「うらみ」や「怨念」を持った人間が、
死んでも死にきれず人間の形(不完全な)で出現するのだ。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
普段は意識下に沈んでいるさまざまなトラウマのようなもの。
それらがあるきっかけで意識の表面に映り込む・・・。
近世日本画史のひとつのテーマとなった幽霊画、怨霊画。
怖いもの見たさ、人間の意外な一面である。
子供のころ夏になると祭りに合わせたように、
お化け屋敷が小屋掛けしていて、
たまに小屋の裏でお化けが弁当を食べていた。
これがホントの「うらめしや〜」なんてね!

展示会場の天井から薄青の蚊帳が釣ってあり、
幽霊画とのマッチングは絶妙だ。
その帰りにショップをのぞいていたら、
店員さんが幽霊の白装束で接客!
「アリガトウございます・・・」
小粋な雰囲気で和ましていただく。
この企画展は大当たりだった。
帰路は東京国立博物館まえの広場が真夏日していた!

今日は広島被爆70年。
一瞬の爆発で、恨みつらみも言えなかった数多くの人たち。
日本をまたキナ臭い状況にしてはならない。
亡くなっていった人々の尊い魂のためにも。
・・・合掌
