2015年04月15日
4月15日(水)東京、今年は冬から雨が多い。今度は春の長雨、菜種梅雨。寒い春が過ぎて亀戸天神の藤、ゆったりと風にそよぐ姿を観たいものだ。

この間、調べものがあったので、
近所にある区立の図書館に行く。
閲覧室は何時も新聞や雑誌を見るオジサン達で一杯。
なかにはこっくりこっくりと気持ちよさそうにしている人も。
この頃は調べたい本はコンピュータの端末で検索。
紙のカードをめくって探していた頃ははるか昔のこと!
目当ての本がある書架にたどり着くと微かに古書の匂い。
相当古い本で紙は黄色からさらに違う色に褪色していた。
開いてみるとさらに匂いが強く、
しばらく借り手がいなかったのだろう。
まさに古書店の匂いが立ち上ってきた。

私が学生の頃フランスの映画監督アラン・レネの作品で、
パリの国会図書館を撮った短編ドキュメンタリー映画
『世界の全ての記憶』を思い出していた。
何百何千万冊に及ぶ書籍の集積所は、
まさにあらゆる記憶の
デパートメントストアなのだろう。
私が読書に目覚めたのは小学校の図書館。
夢中になって読んだ初めての全集は江戸川乱歩。
『怪人二十面相』『少年探偵団』シリーズだった。
『青銅の魔人』『怪奇四十面相』・・・。
閉館まで夢中になって読み耽っていた。
夏休みは閉館なので街の貸本屋で続きを借りた。
その後、乱歩の”大人物” 『人間椅子』『淫獣』・・・
耽美的エロスの世界を小学生が読んでいたのだ。
相当ませた子供だったのだろう。
解らないなりに興奮していているのが解って
自分で恥ずかしいと思い周りを見渡してしまった。
今考えると何か切ない思い出だ。

本と言えば20代の終わりの頃、実家からTEL。
母が「あなたの部屋の押入れの本が重くなって、床か抜けそう!」
慌てて行ってみるとその重さで床がたわんでいたのだ。
何でもかんでも、実家の押し入れに入れっぱなしはNGだ。
急いで古書店を呼んでまとめて買ってもらった。
今から考えると結構貴重な本もあったはず・・・。
学生時代から古書店さんとのご縁は深い。
アルバイト代を全部はたいても買えなかった『梶井基次郎全集』。
訳を話してしばらく取っておいて貰った。
そこまで苦労して買ったものを訳があって売ってしまった。
これもまた切ない想い出として甦る。
その古本屋には白と黒の二匹の猫がいて、
自分の場所を決めて何時も寝ていた。
店主は老眼鏡をズリ下げ眼で挨拶を交わすようになった。
そして店内は古本独特の匂いで溢れていた。
iPADからは匂いの記憶は立ち上がらない。
(古書店のオヤジになるのも悪くない・・・)
今はもう街の古書店はほとんど見かけない。
これも時代の流れかと思うと寂しい気持ちがする。

そいえば昨年、神田神保町の古書店街をブラブラした時
何時も立ち寄る映画・演劇・芸能関係専門の古書店に行く。
その頃一生懸命に探していた『安藤鶴夫作品集』朝日新聞社全6巻。
たまたま店員さんにそれを訪ねたら、
「もしかしたら出回ることがあるのでメールアドレスを」とのこと。
期待しないでいたところ2ヵ月後に、
「ありました。お買いになりますか?」とのメール。
予想をしたよりずいぶん安く、揃いの全集が届いた。
ネットの半値ぐらいの価格だったのだ!嬉しい!!
安藤鶴夫〜1908−1969。『巷談本牧亭』直木賞受賞作。
芸能評論家・小説家、生粋の江戸っ子。
その文章はケレン味が無く淡々と語る。
全集はその時買いそこなっていたものの古本。
特に落語に、語り口に深い洞察と想いを持っていたのだ。
今それらを少しずつ読んでいる

年を重ねると時には良い縁に巡り合うこともある。
年若いOBの皆さんも今まさに時代の真ん中で、
巡り合っていることがその人だけの出遭いや出来事。
そののちに、良い記憶や思い出として
貴重な宝物となる日が
きっと誰にでも訪れる時が来るのだから・・・・!
毎日毎日が貴重なひと時の積み重ねであるように。
