2014年02月12日
2月12日(水) 今年、こちら東京も雪の当たり年? 道端には先週末の大雪がまだ残っている。週末も予報ではなんだか雪になるとか、雪国のOBのご苦労が身にしみてきます。

気候の話になるが。
イギリスではテムズ川上流地域が、
250年振りの大洪水に見舞われている。
国を選ばず、
自然は時に過酷だ。
人間は時として
「人間の為に自然がある」
と錯覚。
自然に対する畏怖や畏敬の念が
薄まっている。
IT、インターネットで世界を共有、
制覇したと勘違いしている。
自然観が
甘くなっているようだ。
先週末、夜に
ほんの数百メートル離れたスーパーに
買い物に行った。
玄関を出たら案の定、大吹雪!
傘も役に立たないほどの凄まじさ。
往復で30分もかかった。
途中で全く視界が無く、
ホワイトアウト状態。
山の中だったら、遭難かも。
翌日のニュースで、
東京は45年振りの大雪と報じていた。

この10年ぐらい前から
“世界観”と云う言葉が
多く使われているようだ。
“人生観”
“人間観”
“宗教観”
“自然観”…。
ひとくくりに大きくものを述べるには
便利なようだ。
この頃は「独自の世界観をもったゲームで…」などと
使われるほどだ。
あの宮沢賢治の自然観は
『グスコーブドリの伝記』にあるように
厳し過ぎる自然に挑む人間の
無力さを描いている。
粘菌の研究で知られる異能の生物学者、
南方熊楠も10ヶ国語を習得し、
博物学、民俗学、宗教学、社会学、歴史学と多方面から学び、
それこそ独自の世界観を語った比較民俗学の論文を
世界的に権威がある英国の科学雑誌『ネイチャー』に投稿。
20世紀初頭、早くも天才的な存在だった。
日本では評価されず
故郷の和歌山・田辺で粘菌の研究。
一生在野で終えた。
早すぎた存在だった。

その頃、世界はパリ万博で
「科学文明」をテーマに
産業革命の総決算。
経済成長が重要であり、
それを支える科学技術を振興する。
以来、世界は科学・機械文明主義に
パラダイム・シフトしていく。
その結果得た幸福。
しかし悲惨な戦争が起こり、
新たな人間の社会格差が大きくなった。
自然との共存ではなく、
収奪としての自然に置き換わっていく。
制御できる存在としての自然と、
多寡をくくってきた。
大きな世界戦争の結果、
植民地を持った国が世界経済を主導してきた。
果てしない欲望、
国と云う名を使った我利、我欲。
今でもそれは続いている…。

前回のブログで紹介した
『科学者が人間であること』中村桂子著(岩波新書)
を読みながら(まだ途中だが)想った。
生物化学者(ゲノムの研究者)が、
数理研究に陥りがちな科学者やわれわれに、
もっと人間という存在を
自然の中の一つの生き物として
「世界観」を再構築することを
提唱している。
もっと謙虚に、
古来自然を神として敬ってきた日本人は、
それらの事を再考する懐があるはずだと…。
そんな本に出会って
しばし考えてみた雑感。
…雪の中、
街は色と音を消し去っていた
日曜日の午後のひと時に…