2014年02月05日
2月5日(水) 昨日はもう立春。でも東京は午後から雪模様の天気。そして、雪の明日。今日は朝から ド・ピーカンの天気、サングラスを掛けて表に出たほど。
先頃、科学の世界で
またまた大発見があった。
万能細胞STAPと名付けられている。
小保方晴子博士。
いわゆる理系女子のグループの業績だ。
ES細胞-iPS細胞(人工多能性幹細胞)でも
すごい発見なのに、
…ある細胞に刺激を与えると、
身体を構成するあらゆる種類の細胞になる
という夢の様なもの…らしい。
何処までこの分野は
進歩していくのだろうか。
医療格差は今でもあるが、
今後近い将来、
金持ちは臓器・細胞を交換しつつ、
世に言う“不老長寿”を
手にすることが出来るのだろうか。
まるで機械の部品交換。
フランケンシュタインの怪物!
コンピュータのように
再起動(reboot)可能!?な人の命。
それまでして生きながらえる
人生の意味とは?
天寿を全うするだけでも
素晴らしいことだが、
人間の欲望は果てしない。
もっと! もっと!!
が多すぎるような気がする。
だとすると宗教観、倫理観も
大きく変わっていくはず。
確かに科学の恩恵で
豊かに、便利になったこの世界。
しかし、
一方では失ったものも多い。
安全神話が崩壊した原子力等等…。
先日、
『科学者が人間であること』中村桂子著(岩波新書)
を読んだ。
第一章「生き物であることを忘れた人間」
とある。
…科学的であるとは
多くの場合数字であらわされる。
そのおかげで
より進歩した、暮らしやすい生活が
出来るようになった。
ただ、生命科学が万能ではなく、
自然の中の命に向き合う文化をもった私たちは、
自然の中に神や仏を見出だし
他の生き物たちと共生、共感してきたはず。
西洋科学の分析手法で
生命体の構造と機能を知るだけでは、
生命とは何か、と云う問いには
答えられないことが明らかになりつつある…。
………またの機会に読後感を述べます………
人間は何でも知っているようで
何も解っていないところが、
時として疑似科学的なことで
云い募ってしまう。
前を向いて歩くのは良いのだが、
置き忘れたり、
踏みつけにしてきたものも多いようだ。
そんな存在が人間なんだ、と。
それを言ったらおしまいかもしれない。
もっと謙虚に、
身の丈に合った、
素直な生き方がしたいと思うのだ。
庭の紅梅が咲いた。
隣家の蝋梅の香りがする。
ゆっくりと
季節が動いているようだ…。