2017年04月
2017年04月26日
4月26日(水)やっとなんとなく春らしくなってきました。入学式、入社式が終わるとすぐにゴールデンウィークが始まるまた働き蜂たちの民族大移動が始まる!

今年は花が咲くのが例年より早い。
何時もの散歩道にフジの花が満開だ。
少し前までただの枯れ木だったのにいつの間にか
それは見事に咲き誇っていた。
その藤色の花房が風のそよぎに任せ揺れている。
初夏のような陽光に匂い立つ佇まい。
散歩の足を止め、しばしたたずむ。
人影もない昼下がり、一人で味わう贅沢なひと時。

こんどは亀戸天神のフジを観に行こうか。
帰りに舟橋屋の名物くずもちを食べようか。
某国のミサイルが飛んでこないのを祈る。

先日知人から一冊の本を借りた。
『〆切本』 左右社編集 �蟶険�社。
いわゆる〆切に今昔の文人、文豪が四苦八苦する様。
はがきや手紙に残したものを集めた、
いわば「言い訳本」だ、彼らの名前を挙げると。
志賀直哉、吉川栄治、菊地寛、梶井基次郎、太宰治、
大岡昇平、山口瞳、筒井康隆、浅田次郎、大沢在昌・・・・。
錚々たるメンバーがそれに四苦八苦する様が面白い。
要するに何故〆切に間に合わせようとしないのか、出来ないのか、
理由は様々だ、そして曰く。
「ふがいない事に、いつまでも情熱が起きません」
「鉛筆を何本も削ってばかりいる」
「用もないのに、ふと気がつくと便所に這入っている」
「二十分とは根気が続かない」・・・

かくいう私も昔から試験直前や締切り直前に慌てるタイプ。
40年ほど前ラジオの台本を書いていた頃を思い出す。
月〜金の5分帯番組の構成だった。
取りかかるのは何時も前日の夜中。
それまではよせばいいのに本を読んだり、爪を切ったり。
余計なことを全部やりつくして、他にすることが無い状態で、
ギリギリ切羽詰まった状態で取りかかっていた。
何時も計画性を持って取り組めば良いのに。
今考えるても冷や汗ものだった・・・。
人生に締め切りはどんな形であるのか?!
プロの物書きにならなくて良かったとつくづく思った。
ちなみにこの本は大分版を重ねているようだ。

話変わって。
先週、何年かぶりで新宿の「思い出横丁」にいった。
たまにはSの店で飲もうぜと学生時代の友人の誘い(3人集まった)
今は亡き学生時代の友人のもつ焼き屋で飲む。
ここだけ終戦後の西口の面影が残っている。
昔は、よほどの通人しか立ち寄らない通りだった。
先先代の主人は注文を受けると焼場のそばにある伝声管で、
二階のくし刺し場にオーダーする。(彼は潜水艦乗りだったらしい)
何を食べても鮮度が抜群に良いので、何時も満員。
今店は亡き友人の弟さんが継いでいる。
この頃は外国人観光客の見学コースになっている。(新宿二丁目も)
私たちが飲んでいる後ろを沢山通っていた。
まだ学生時代にはこの一帯はヤクザ抗争の中心地だった。
今はそれは無いが昼なお暗き細い路地に隙間なく煙を出している。
いまに文化遺産として登録されたりして!(それは無いか)

OBの皆さんの住む町にも古き昭和が残っているのかしら。
東京は何時もビルド&クラッシュが烈しい街。
光り輝くものばかりで一杯にするだけでは良くない。
光と影が上手く織り成して欲しいものだ。
その日は東京在住の同窓生3人の会になった。

2017年04月19日
4月19日(水)慌ただしかったサクラの花見もいつの間にか終わってしまった。毎年のように繰り広げられるサクラ狂想曲が静まり返って寂しいかも・・・

世間では、今年も繰り広げられたサクラ見物騒動。
花冷えにも荒天にもめげず繰り広げられた。
私は何時ものように町はずれでひっそり咲いているサクラ見物。
酒も場所取りもいらない暢気なものだ。
木下でのバカ騒ぎも疲れる気がするからだ。

今ソメイヨシノはすっかり葉桜に。
緑色が日に映えて鮮やかで美しい。
それに遅れて珍しい黄桜が満開になった。
なんとも上品な浅黄色、匂うようだ。
犬との散歩は花びらが舞い散る公園の芝生。
贅沢な散歩道である。

家に帰るとTOHOから今年の研究紀要集がとどいていた。
毎年のように審査をさせて頂いているが、
今年は私が審査した一篇が最優秀賞に挙げられた。
岡村先生の『ICT教育の実例と考え方、今後の展望』
IT教育をさらに進めた information and communication technology の略。
文科省の新しい指針に沿ってさらに幅広く具体的に展開。

タブレット、スマホなどの端末をさらに効果的に現場での技術教育、
特に映像音声教育に応用。
自作の教科書を大型プロジェクターで投影したり身近な創意工夫が感じられる。
丁寧な語り口、図解も分かりやすい。
近ごろの論文のなかでは相当に出来が良い。文句なしだ!

将来、AIが先生を不要にする!?は愚問。
現場の教師の熱意と何かを伝えようとする気持ちが教育の根底なのだ。
その想いがこの論文に溢れている。
岡村先生のもう一つの顔は「落語」を達者に語ること。
一見、正反対のように見えるが実に玄人裸足の腕前。
IT、デジタルとは無関係のようだが不思議に両立。
扇子と手ぬぐいで聴く者を笑いと感動に導く。
人間臭い芸の持ち主なのだ、なんと幅広い!
久しぶりに彼の噺を聴きたくなった。

それにしても年々論文の応募者が少なくなってきていると聞く。
寂しい限りである。自分の成果を書いて残すこと。
まさしくアナログの手法である。コピペで済ます輩が多いと聞く。
デジタルの前に自分の考えを広く皆に問う事が、勇気が大事なのだ。
いやしくも教師たるものは自分の研究成果や授業を分析発表するのがベター。
時代とともに授業内容も変化しているのだから。
教師のそんな熱意が学校を支えるのだから。

話は変わるが、
先日講習会で古い放送芸術科のOBとお会いした。
いずれも30年来の再会だ。
木村和也さん(写真あり)、森島邦夫さん。
お二人とも番組プロダクションのお偉いさんになっていた。
なんとなく面影はあるが少し体格が良くなったようだ。(貫録も)
この業界で相当なご苦労をされてきた。
この世代はあまり同期会もしていないと云っていた。

今年の気候は何かおかしい。
春の嵐が去ったらもう夏の気温だ!
OBの皆さんどうぞご自愛ください。

2017年04月05日
4月5日(水)今日は朝から暖かい日差しが降り注いでいる。桜満開!やっと春になったようだ。朝遅い電車に乗ると子供連れで一杯だった。

春爛漫!
今朝は赤坂の事務所に出勤。
近所の桜満開の公園を抜け、地元の神社の桜を眺める。
鳥居越しに静かに咲いている風情が良い。
これからしばらく随所で楽しめそうだ。
そんな折、
この季節になると決まって取り出す本がある。
『サクラは何色ですか?』大澤正人著(現代書館)
サブタイトルに西田幾多郎の思想とある。
西田幾多郎(1870〜1945 戦前の日本を代表する哲学者)
この著者はマルキシズムの研究者。

本の帯にもあるようにサクラの風景のかなたを幻視する哲学書。
この本の出会いは5〜6年前九段の神社の花見からの帰り道。
神保町の古書店で偶然見つけたものだった。
買い求めてすぐに喫茶店で開いてみたが、難解!
基本の考えがあの「西田哲学」だから。
学生時代に岩波文庫『善の研究』に挑戦したが苦戦。
友人たちも彼の言う「絶対矛盾的自己同一」を理解に苦しんだようだ。
そんな挫折の記憶があるのにまたかとおもった。

著者は言う。
・・・春のある日満開の桜、そしてあっと言う間に散ってしまう。
あの華麗な花が一夜にして雪のようにハラハラと散る。
「花は桜木、人は武士」と嘯き、潔いもののシンボルとした。
それが戦中の「散華」思想になる(特攻思想)。
古人はサクラをそんな見方をしなかった。
もっと桜そのものを観ていた。
命の乱舞を観ていた。
それがいつの間にか「皇道」「大和心」とかにすり替えて、
かの戦争が遂行されたのだ。
物の本質を見ずに恣意的に使われてしまったサクラ。
今こそ西田哲学の東洋思想の絶対無を再考すべき。
物事の本質をもっとよく見るべきと・・・。

現代の問題は70年の時間を経てまた亡霊のように。
サクラに色を付ける教育が始まろうとしている。
政治が変色してきているのか?
今年もまたこの本を最後まで読まずに終わるのか?
せめて去年の栞がはさんであるところ以上は読みたいのだが・・・。
満開の桜に笑われないようにと想う。
