2015年08月
2015年08月26日
8月26日(水)今年は大きな台風やらで、大雨や風の被害が例年より多い気がします。被害にあわれたOBの方々にはお見舞い申し上げます。一日も早い回復を!
朝から賑やかな太鼓の音が聞こえている。
わたしの地元では先週末、夏祭り。
夕方からは盆踊りのやぐらが組まれて準備OK。
晩夏の空をバックに風情を出していた。
浴衣がけの若い女の子がちらちらと集まってきている。
普段とは違う彼女たちの姿に若い男の子たちはドキドキしている!?
今も変わらぬ夏の風物詩がはじまる・・・。
話変わって
先日映画専門学校の関先生から、
最新の猛禽類取材の成果が送られてきた。
かなりの力作である。
何時もワクワクものでメールを開く。
取材場所は東京の山奥らしい。(場所の特定はマル秘)
先週あの寝台特急ブルートレインのラストランに、
「撮り鉄」が大挙して上野駅13番ホームに大集合!
マニアはどの世界にもジャンルにも大勢いる。
ホームに溢れかえっている人たちはほんの一部なのか。
追っかけ、マニアはどの時代にもいる。
近頃は「工場萌え!」はバスを仕立てて夜の工場地帯に行くマニア。
確かに高速道路から見る工場群の夜景は美しいと思う。
話を本線に戻そう
今度の猛禽写真集は作品のの精度が抜群なのだ。
狩りたての獲物を注意深く食している映像は凄い!
こっちに鷹の眼力が付き刺さってくるようだ。
また親羽を広げ乾かしている画も珍しい。
かなりの長い玉(望遠レンズ)での根気の要る技。
ノンブレス(無呼吸)でシャッターを押す。
まさに「・・・暗夜に霜が降りるごとく引き金を絞る・・・」だ。
己と対象が無意識のうちに折り合い、溶けあい、同一化する。
もうそれは達人の境地か?!
そんな瞬間の為に、至福の時間の為に、
地道な準備を重ね、チャンスを待つ、そして待つ。
試行錯誤の連続、それでも止めない。
趣味の領域を超えてモチベーションを持続するのは難しい。
『世界ネコ歩き』で御馴染の岩合光昭さんは、
何時もネコ目線でこころで撮っているようだ。
何十年も世界中の猫の映像を追いかけている。
半分家畜化されているとはいえネコは気ままだ、
岩合さんの目線は常にネコ主体である。
何時だったかキーウエストでA・ヘミングウエイのホテルでのネコ。
あたかもかの文豪がフラッと帰ってきそうな雰囲気を出していた。
さすがプロ、好い作品だった。
当然のことだがアマチュアは仕事との折り合いが大事。
一芸万事に通じる、集中力、忍耐力、親和力・・・。
色々な意味でそれらが生かされていることが前提かも。
つい余計なことを言ってしまった。
今後も興味深い作品を期待してます。
わたしと言えば多趣味?である。
絵画、書、SF、ミステリー、散歩、廃墟を観ること・・・。
どれかにハマると当分夢中になるがこれらは、
断続的にもマアマア継続しているかな・・・。
さてOBの皆さんはどんな趣味をお持ちで楽しまれているのでしょうか?
家事や仕事で忙しくって、という声も有りそうですね。
この夏は特に気候が異常です、夏風邪にご用心!
2015年08月19日
8月19日(水)夏の甲子園を観ていると高校生の真剣な熱気に暑さを忘れそうです。今大会は100周年記念でさらに盛り上がっていますね。関東勢が強い!がんばれ!!
先週からお盆休みとあって街は静かだ。
暑さのせいもあって人通りもまばら。
買い物ついでに街を散策してみた。
8月15日、終戦の日。
今年はちょうど戦後70年の節目だ。
自分の歳と重なる、戦争の焼け跡の名残りが、
私の幼いころにはまだ残っていたような記憶がある。
それからこの国は驚異的な高度経済成長を遂げていった。
とはいえ幼いころ浅草育ちだったので隅田川の花火は、
家からでも十分見ることが出来た。(高層の建物は皆無)
音や火薬の匂いが今でも鮮やかに覚えている。
子供の頃の楽しみは釣りだった。
近所の友達と小一時間かけて葛西橋まで行きハゼ釣り。
隅田川ではアサヒビールのあたりでウナギを釣り上げた。
それを観ていたオジサンに「坊やそのウナギはさっき揚がった。
土左衛門(ドザエモン・水死体のこと)を食ったかも!」
と脅されて持って行かれてしまった。
また江東区・東陽町あたりには洲崎橋があり、
戦後は洲崎パラダイスという色街を描いた。
高校の先輩、芝木 好子「洲崎パラダイス」がある。
川島 雄三監督も同名でメガホンを撮っている。
洲崎と言えば野球場、外野が上げ潮で水浸しになったとか・・・。
聞いた話だが雷門近くの老舗のお店で、
若い女性の観光客が「吉原って何処ですか、この近くでしょ?」
今はこんな時代なのかと店主は苦笑していたとか。
そのころは都電が全盛都民の足だった。
どこまで乗っても15円。
最長距離は志村橋(板橋)〜三田。
ゴトンゴトン乗り心地は今いちだったが、
まだのんびりとした時代。
小、中高校は徒歩で通った。
大学時代は都電の定期が300円!安かった。
駿河台下まで45分揺れながら通った・・・。
東京オリンピックで東京の景色が変わった。
そんなことを思いながらお盆休暇の街を歩く。
この辺はまだ町工場がかなり残っている。
金属加工の小さな規模の立たずまいが多い。
半分シャッターを閉めながらも作業をしていた。
そうでもしないとやって行けないのだろう。
チョッと路地裏に入ると、
お約束の様に猫がお迎え。
今風の建物に囲まれていまだに路地裏は健在だ。
懐かしい昭和の香りがまだ残っている気がした。
OBの皆さん今年の夏は如何でしょうか。
記録的な暑さが続いています。
御身体に気をつけてお過ごしください。
2015年08月06日
8月6日(木)今日も東京は朝から暑い。連続猛暑日の記録だが、嬉しくはない。2050年ごろは京都の紅葉の見どころ時期は12月になるとか、亜熱帯化が進んでいるらしい。
「うらめしや〜」
黙っていても暑いこの最中。
昼下がり、蛮勇をもって上野まで涼みに行った。
「うらめしや〜、冥途のみやげ 展」を観に。
上野駅公園口から徒歩10分余り。
汗を吹き拭き、東京藝術大学美術館に着く。
館内は当然のように薄暗く、それでもそこそこ人は入っていた。
夏の真っ盛り幽霊画を観るのも一興か。
三遊亭圓朝〜明治期に怪談話の名話手として知られた。
「怪談牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」「怪談乳房榎」・・・。
台東区谷中の全生庵の幽霊画コレクションが中心だ。
永い黒髪の女性、足の見えない、透けている幽霊画の創始者は、
かの、円山応挙なのだそうだ。
改めて応挙の画を観ると恐ろしい表情ではなく、むしろ優しげ、儚げ。
少し憂いを含んだ美人画である。
そして腰から下がうっすらとし始めそして透けて無くなっていく。
何か人間存在の妖しさと儚さを表現。
西洋の騒がしいゴースト達とは対極的だ。
どこまで行っても即物的なゴシックロマン。
日本の幽霊のテーマをなす言葉は「うらみ」。
それが美に変化を遂げていくのが錦絵に見られる。
葛飾北斎、曽我蕭白、河鍋暁斎、月岡芳年・・・。
幽霊は妖怪と違ってもとも「うらみ」や「怨念」を持った人間が、
死んでも死にきれず人間の形(不完全な)で出現するのだ。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
普段は意識下に沈んでいるさまざまなトラウマのようなもの。
それらがあるきっかけで意識の表面に映り込む・・・。
近世日本画史のひとつのテーマとなった幽霊画、怨霊画。
怖いもの見たさ、人間の意外な一面である。
子供のころ夏になると祭りに合わせたように、
お化け屋敷が小屋掛けしていて、
たまに小屋の裏でお化けが弁当を食べていた。
これがホントの「うらめしや〜」なんてね!
展示会場の天井から薄青の蚊帳が釣ってあり、
幽霊画とのマッチングは絶妙だ。
その帰りにショップをのぞいていたら、
店員さんが幽霊の白装束で接客!
「アリガトウございます・・・」
小粋な雰囲気で和ましていただく。
この企画展は大当たりだった。
帰路は東京国立博物館まえの広場が真夏日していた!
今日は広島被爆70年。
一瞬の爆発で、恨みつらみも言えなかった数多くの人たち。
日本をまたキナ臭い状況にしてはならない。
亡くなっていった人々の尊い魂のためにも。
・・・合掌