2015年07月
2015年07月30日
7月29日(水)夏もいよいよ本番です。OBの皆さんはお元気でお過ごしでしょうか?東京も夏は毎年のように真夏日が増えています。温暖化から亜熱帯化へ・・・?
先週末、用事があり宇都宮へ行った。
降り立った途端スポット豪雨。
ものすごい勢いで降りだした雨に、
皆さん茫然と雨宿り状態。
こんな光景は今年2度目だ。
用事も済んで表に出たら嘘の様な青空。
駅前で名物の餃子をつまんで電車に。
東京まで新幹線で1時間足らず。
「地方」が本当に近くなって来た。
仕事で週一ぐらいの割合で赤坂に来ている。
赤坂も大きく変わっている。
50年前学生時代にアルバイトでお世話になったTBS。
周りにはロクに食事するところも少なく、
一つ木通りは閑散としたローカル商店街。
食事はもっぱら社員食堂だった。(6階の食堂、六食)
窓から見渡せば、しもた屋風の家並みが残っていた。
山王神社が見渡せ、路地裏には料亭。
何時も黒塗りのハイヤーが止まっていた。
黒板塀・待合政治と言う言葉があった。
これらの料亭で政治が決まっていたらしい。
やがて40年前くらいから街の相が変化して行った。
最初は日本初のレストランシアター「ミカド」ができ、
ラスベガス並みの食事とショーを楽しめた。
そして韓国人たちが進出、コリアンタウンが出来た頃から、
また様変わりをしていった。
本当に街は生き物の様に変化していく。
この地は驚くほど飲食店が多い。
しかし家賃が高くよほど繁盛しなくては維持できない。
早い店は3か月も持たずに撤退してしまう。
ランチ時はどの店も満員なのに、
(NTTのビルが出来てから一層)
夜はそれでも高級店が今でも残っている。
そして昨今はチャイナタウンが勢力を増しているようだ。
街中の会話はもはやインターナショナル。
赤坂は私にとっては、仕事的にも第2の故郷の様なところ。
でもなぜか肌が合わないのだ。
赤坂と言うがそんな坂は無い。
有名なのは乃木坂。
一番低い土地、溜池から乃木坂に向かって、
徐々に上っている。
そう云えば先週行った日比谷は昔、海で入り江だった。
東京の歴史は埋め立ての歴史とも言える。
先日10年前に買った、中沢 新一著『アースダイバー』講談社 を再読。
・・・「縄文地図を持って東京を散策すると、
見慣れたはずのこの都市の相貌が
一変していくように感じられるから不思議だった。
どうして渋谷や秋葉原は
こんなにラジカルな人間性の変容を
許容するような街に成長してしまったのか。
猥雑な部分を抱えながら
新宿がこれほどのバランス感覚を
保ち続けていられるのはなぜか・・・・・・・」
大阪・京都・奈良よりずーっと新しい街。
それでも古いものをそぎ落とし、
常に新しさを求めるデジタル都市。
絶え間ない変化の中で、
わたしたちは何を得て何をなくして行ったのか。
わたしの「永く続く夏休み」の課題でもある。
今日はこの赤坂でも朝から蝉しぐれが、かしましい・・・。
そんな訳で盛夏お見舞い申し上げます!
2015年07月22日
7月22日(水)東京地方は梅雨が早めに明けた。エルニーニョ。早めの台風の発生で全国的に水害が起きている、アメリカ西海岸では干ばつで山火事被害。今年も異常気象なのだ。
先週金曜日、有楽町に出かけた
『チャイルド 44 森に消えた子供たち』を観に、
台風の余波が残る日比谷の街。
前を歩く女性の傘がオチョコになるほどの突風、ビル風。
目指すは「みゆき座」。実に久しぶり。
この映画、都内ではほとんど上映館が少なく単館と同じ。
何時もは近くのシネコンでOKなのだが、
内容が地味?なせいなのかと思った。
原作はイギリスのミステリー。(日本でも評価が高い)
あの巨匠リドリー・スコットがプロデュース。
監督はスウェーデンの若手監督、ダニエル・エスピノーサだ。
1950年初頭、ソ連はスターリン体制で独裁国家。
保安省の捜査官がたまたま友人の息子の変死に疑問を持つ。
当時、理想国家としてのソ連に殺人事件。ありえないと捜査を阻止される。
スパイ容疑の妻をかばい、主人公は地方都市に左遷。
しかしその地でも連続して子供たちが殺害される。
荒涼たる地方都市の風景、戦後間もないモスクワの荒れた有様。
映像は地味だが的確に矛盾に満ちた独裁体制を彫り込んでいく。
この監督、若い割には緻密な描写と、カッティングが巧みだ。
主人公は徐々にシリアルキラーを追い詰めていくのだが。
新たな敵がまた現れてクライマックスへ・・・。
数年前この原作の続編『グラーグ57』トム・ロブ・スミス著(新潮社文庫)も
夢中になり読んだ記憶が甦って来た。
その訳は、目の前に起こりつつある困難を知力と体力で乗り越える。
主人公の生き抜く意欲と優しさに快い感動を覚えたのだ。
スマートな書斎派の探偵が好きではないからかもしれない・・・・。
夕方最寄りの駅に降りると、
駅前で共産党のビラ配りの人たちがいた。
共産主義独裁のスターリン体制の映画を観た帰りの偶然。
その党の機関誌を配る人たちの年齢も高い。
一人の年配の党員?が「国会質問のDVD無料で配っています!」と、
DVDをもろ手にかざして訴えていたのが印象的だった。
心情左派としてはこの季節。
学生時代に読んだ、原 民喜 著『夏の花』が浮かぶ。
広島の原爆のその後を描いた美しい文章だ。
元題名は「原子爆弾」を改題したもの。
8月の広島の夏空に突然咲いた理不尽で凶悪な花。
何時もこの季節になると何故か呪文のように
「ナツノハナ・・・」とつぶやいてしまう。
今年もあの悪夢の記念日がもうすぐやってくる。
世界の負の遺産を絶対忘れてはならないのだ。
今日も季節は巡り、路地には名も無い夏の花が咲く・・・。
2015年07月15日
7月15日(水)大きな台風が来て、明日あたり関西上陸?そして来週には梅雨明けかも。集団的自衛権、新国立競技場問題。ようやく若い人たちの声が上がっているが・・・
昨日今日と台風のせいなのか、
空が抜けるように青い!
今までどんよりとした梅雨空に慣れていたせいか、
眩しいほどの青さだ。
昨日、今日と東京もものすごく暑い。
まだ暑さに慣れていないせいか身体がついて行けてない。
これからしばらくこの暑さとの闘いが続くようだ。
今朝もバス停まで10分歩いただけでギブアップ寸前だ。
やはり夏より冬が好いなと思う。(着ればなんとかなるし)
凍死より熱中症の方が俄然多いのだ。
そういえば今週はお盆。(新暦?)
祖先に感謝の供養をする慣わし。
わが家は8月の中旬に先祖の墓参りと掃除を兼ねたイベント。
このところいつも猛暑の蝉時雨のなか墓の草取り
線香の煙、汗が止まらないが年に何度も無いことなので我慢!
そして妹一家と会食して近況報告など。
あれからもう一年が経ってしまう。
ご先祖様があっての私たち。
この頃無縁墓が多くなっていると云う。
また近い将来墓自体が消滅してしまうと言われる。
私は子供の頃から「寺町」で育ったので、
そんなイメージが浮かんでこない。
人間は一人で生まれひとりで死んで行くのは淋しい。
それは傲慢であり、余りにも辛すぎるだろうと思うが、
誰かに思い出してもらいたい。
思い出すよすがにしたいのだ。
「人間死ねば終わり、そして一代限り」というが、
それでも多くの人に支えられて生きてこられたのだから、
記憶の繋がり合いが残って行く。
良くも悪くもその人が創った歴史を思い出すことが度々ある。
よく何回忌の法要というが、
永く故人を偲ぶと云う風習は好ましい。
13回忌、33回忌・・・生きて覚えている者も少なくなっても、
50回忌100回忌とあり、
丁寧過ぎるぐらい亡き人を偲んでいた。
時代の変化は常にあり、だれも止められないのか・・・。
話は変わるが先日、赤坂で放芸OBの田中孝之さんに会った。
某TBSの人気番組の制作者だ。
学生時代は少しヤンチャナ感じで担任は平岡先生(旧姓望月)。
その当時(20数年前)の事を昨日の様におもえた。
はじめて担任を持った平岡先生がご苦労していたことを。
それにしてもこの業界でのTOHOのOB達は皆元気だ。
学校の役割は沢山あるが良きOBに恵まれること。
そして彼らがどこかでつながってバックアップしていること。
学校はいつでもどこでもOBを大切にしていること。
モノを創って売っておしまいではない。
学生を育て見守り感謝することだ。
18歳人口の減少、大学全入、専門学校化している大学も多い。
長い歴史と伝統はOBによってつくられるところが多きいのだ。
2代3代とOBの子弟がTOHOの門をくぐって欲しいと思っている。
学校は永く存続してこそ意味があるのだから!
今年も猛暑が全国を席巻しそう、ご自愛ください。
2015年07月08日
7月8日(水)今年の梅雨は何か変だ。もう台風が三つも来ている。
昨日の七夕は残念!今日も朝から梅雨空、
今年は梅雨明けが遅いとの予報、傘が手放せない毎日である。
先週末金沢に行った。
北陸TOHO会in金沢が開催された。
久しぶりに二桁の参加者で盛り上がった。
お隣の富山県からも多数来られた、有難うございます。
北陸地区の担当委員 南さんご苦労様(事務局の方も)
かなり一生懸命OB達にTelしたようだ。エライ!
金沢はこの春から新幹線が開通。
行きも帰りも満員、車両は新車の匂いがした。
心無しか座席が広いように感じた。
5万人を超えた卒業生の方々、その何%でも。
地区の集まりに参加して頂いている。
伝統校と言われる学校は、歴史はもとよりOBの方々の、
母校に対する「想い」だろう。
想いとは様々だが、
良くも悪くも沢山のエピソード記憶があることだ。
過ぎ去って見れば
ほとんどが懐かしい思い出に変容することが多い。
友人、教師、授業・・・その思い出の三大ファクター。
参加者の自己紹介では
学校で学んだことを生かした職業の方が多い。
最年長OBB・元本校教師 作島さんもお元気そうだ。
ずいぶん前にUターンされ放送関係の仕事をされている。
奥様もTOHO・OBなのだ。
結婚式に招かれたのは昨日の様に思いだされる。
学生時代から35年以上のお付き合いになる。
こうして今でも昔のOBがたにお会いできるとは。
なかには私が来ると云うので参加したOBも何人かいて、
ありがとう!!本当に教師冥利に尽きます。
同業他校の地方OB会は今いち盛り上がらないとの噂。
TOHOは良きOBに恵まれているようだ。
話は変わりますが、ご当地金沢は新幹線効果テキメン!
七夕直前とあって、駅前はヒトでいっぱいだ。
TOHO会の当日行われた
”サウンド ウオーク in 金沢”で街歩き。
兼六園をスタートして、ひがし茶屋街〜浅野川〜蓄音器館。
その間、聞こえる音響をひたすら注意深く聴く催しなのだ。
兼六園では土曜日とあってひたすら人の声。
なかでも中国人観光客の声が注意を引いた。
もっと人の来ないときに自然音を聴きたかった。
蓄音器館では昔懐かしいSPレコードを試聴。
SP盤は子供の頃蓄音機にセットして聴いていた。
動力は手回しのばね式。
毎分78回転、その後電気蓄音機(電蓄)となって行った。
ただただ懐かしいレトロな佇まいの博物館だ。
この付近には泉鏡花記念館などがあり、
街歩きには最適なところかも。
何度も金沢を訪れているが奥が深いのには驚く。
東京から転勤していた知人が定年で、
この地を終の棲家にしたのも頷ける。
これからも地区TOHO会は全国を回る予定とか。
OB達が地域でしっかり根を張り、
今後のTOHOを支えてくれることを
大いに期待しています!
今年も地区TOHO会に呼んで頂き感謝いたします。
今年は梅雨明けが遅いとの予報、傘が手放せない毎日である。
先週末金沢に行った。
北陸TOHO会in金沢が開催された。
久しぶりに二桁の参加者で盛り上がった。
お隣の富山県からも多数来られた、有難うございます。
北陸地区の担当委員 南さんご苦労様(事務局の方も)
かなり一生懸命OB達にTelしたようだ。エライ!
金沢はこの春から新幹線が開通。
行きも帰りも満員、車両は新車の匂いがした。
心無しか座席が広いように感じた。
5万人を超えた卒業生の方々、その何%でも。
地区の集まりに参加して頂いている。
伝統校と言われる学校は、歴史はもとよりOBの方々の、
母校に対する「想い」だろう。
想いとは様々だが、
良くも悪くも沢山のエピソード記憶があることだ。
過ぎ去って見れば
ほとんどが懐かしい思い出に変容することが多い。
友人、教師、授業・・・その思い出の三大ファクター。
参加者の自己紹介では
学校で学んだことを生かした職業の方が多い。
最年長OBB・元本校教師 作島さんもお元気そうだ。
ずいぶん前にUターンされ放送関係の仕事をされている。
奥様もTOHO・OBなのだ。
結婚式に招かれたのは昨日の様に思いだされる。
学生時代から35年以上のお付き合いになる。
こうして今でも昔のOBがたにお会いできるとは。
なかには私が来ると云うので参加したOBも何人かいて、
ありがとう!!本当に教師冥利に尽きます。
同業他校の地方OB会は今いち盛り上がらないとの噂。
TOHOは良きOBに恵まれているようだ。
話は変わりますが、ご当地金沢は新幹線効果テキメン!
七夕直前とあって、駅前はヒトでいっぱいだ。
TOHO会の当日行われた
”サウンド ウオーク in 金沢”で街歩き。
兼六園をスタートして、ひがし茶屋街〜浅野川〜蓄音器館。
その間、聞こえる音響をひたすら注意深く聴く催しなのだ。
兼六園では土曜日とあってひたすら人の声。
なかでも中国人観光客の声が注意を引いた。
もっと人の来ないときに自然音を聴きたかった。
蓄音器館では昔懐かしいSPレコードを試聴。
SP盤は子供の頃蓄音機にセットして聴いていた。
動力は手回しのばね式。
毎分78回転、その後電気蓄音機(電蓄)となって行った。
ただただ懐かしいレトロな佇まいの博物館だ。
この付近には泉鏡花記念館などがあり、
街歩きには最適なところかも。
何度も金沢を訪れているが奥が深いのには驚く。
東京から転勤していた知人が定年で、
この地を終の棲家にしたのも頷ける。
これからも地区TOHO会は全国を回る予定とか。
OB達が地域でしっかり根を張り、
今後のTOHOを支えてくれることを
大いに期待しています!
今年も地区TOHO会に呼んで頂き感謝いたします。