2015年05月
2015年05月27日
5月27日(水)東京はまだ5月なのにもう夏日です。街に出ると女性の日傘の花。今年は暦が前倒しになったような早いペースで夏になってしまいそうですね。

先週末、わたくし、エルヴィス(佐久間家の家族犬)が見たこと。
それは夕方には間がある午後のことでした。
お父さんはこの頃週末の散歩はコースを変えてくれている。
わたしに気を使っているのだ。
もう10歳を過ぎた私には暑い日中の等では困る。
短毛種なので特に暑さ寒さに弱い毛並みなのだ。
15分ほど歩いたところで電柱の陰から声が。
「あのう・・・私自分の家に帰れなくなって・・・」
見るとお父さんとそんなに年の違わないおばあさん。
突然のことでわたしもお父さんもビックリ!
彼女は穏やかな笑みを浮かべているが事態は深刻。
「何時もなら解っているのですが、今日は突然解らなくなりました」
お買い物カートにすがるようにして私とお父さんを見て、
本当に途方に暮れている表情だった。
「町名とか分からないのですか!?」お父さんも困った!
「ハァ思い出せないんです・・・」
何か手掛かりをとカートの蓋を見ると何やらアドレスが。
OO町×丁目・・番 と名字が記されていたのだ。
良かった!
ここからそんなに遠くはないところだ。
わたしはその時思った。
≪もしかしてこの人はこんなことが度々ある?≫

ふつうはカートの名前住所は書かないだろう!
前にもこんなことがあったので、カートに記入したと思った。
10分位でその住所に到着。
家の手前まで送ると、
「もうここで解りますそこですから」
深ぶかとお辞儀をされた「カワイイ犬ですね」とも。
わたしもつられて尻尾を振ってこたえた
「良かった!」
お父さんも一安心の様子で思わずつぶやいた。
「明日はわが身かも・・・」

わたしは犬なので、散歩のたびに臭い付けをする。
今のところまだ大丈夫かも。
それでも以前一世を風靡したシベリアン・ハスキー。
「家に戻れない犬!?」との風評被害で、
今はあまり姿を見掛けないのだ。
わたしは同じ犬の仲間としてあの青い瞳が好きだった。
ここのところ散歩で出会うのは、
トイプードルとチワワ、ダックスフントが多い。
わたし、トイ・マンチェスターテリア種は相変わらず少ない。
ミニチュアピンシャーに良く間違えられる。(尻尾は切らない)
体形は似ているが顔つきは違う。
散歩中に挨拶が出来なく、吠えてしまうのは柴犬だ。
どうも和犬とは相性が良くないようだ。
わたしも10歳を過ぎて良く寝るようになった。
そして相変わらず食欲は旺盛なのだ。
家の人たちは少々太目を気にしているのだが、
幸いに至って健康体、病院通いもほとんどなし。
今日も散歩中にガテン系のお兄さんに、
この日の衣装はヤンキース縞のタンクトップ。
「オー!いい犬だねーカッコいい!」とほめられた。
わたしは出会う人の顔をジッと見てしまう癖がある。
犬好きの人はそんなリアクションが好みなのかも。
今年も何時もの散歩道に、紫陽花が花をつけた。
これからは暑くなるので、散歩は早朝か夜。
それでも街中はアスファルトの余熱が厳しい。
気温が25度を超えると自然に息があがる。
早く暑い季節が過ぎて河川敷を
お父さんと走りたいと思っているのだ。
Wooo!Baww! ≪じゃまた!お元気で!≫
by Elvis

2015年05月20日
5月20日(水)このところ早目の台風やらでお天気が不安定でしたが、今日は朝からカラッとした晴天、やっぱり五月晴れは気持ちが良い!こんな日が続くといいですね。

先週久しぶりに根津神社に行った
この界隈はいわゆる「谷根千」エリアで、
いつの間にか観光名所になっている。
文字どおり散策するのも結構体力がいる。
何時もの、書のメンバー9人が集まった。
途中に文士の跡地や寺をコロッケや芋ケンピをつまみながら、
坂道、台町を巡って歩くのも
明治・大正・昭和の良き時代を感じさせる小旅行。
この辺りは外国人やアート志向の若者が多く住んでいるようだ。
東京芸大がすぐそこだから昔ながらの下宿館もあったりして?
神社は平日に関わらず人が出ていた。
先日までツツジが真っ盛りで人・人でにぎわっていたようだ。
今日は境内の池に亀がのんびりと泳いでいた。
私の子供の頃は「根津の権現様」と言っていたのを思い出す。
徳川家のゆかりの神社で格式が高いのだ。
ニ礼ニ拝、御賽銭を奉じて沢山のお願いをする!

その足で団子坂を上がって、
森鴎外記念館を訪ねる。
それこそ十年以上前になるが、今はオシャレな建物になっていた。
小一時間ほどゆっくりと見学。
明治を代表する知識人、「舞姫」「高瀬舟」は教科書に載っていた。
また彼の住居「観潮楼」あたりのは生活圏を同じくする幸田露伴、
夏目漱石、尾崎紅葉が住んでいて文士村だった。
彼らとの交流は展示されている手紙が物語っている。
記念館の来場者は我々以外はいなくて貸し切り状態。
もっと見たかったが、昼食の予約時間が迫ったので
急ぎ足で、串揚げと木造3階建ての「はん亭」へ。
今は木造3階建ては建築許可が下りない。

幹事は地元上野出身、店の前には空き席待ちの人が並ぶ。
ここにも外国人の姿が多く見られた。
食事はランチコース、なかでも谷中生姜の串揚げがおいしかった。
昼ビールは歩いた後に沁み渡った。
帰路は池の端裏の水上動物園を抜けて、
御徒町で解散、アメ横をブラブラしながら駅へ。
今にも降り出しそうな空模様だった。
ここは中学時代のマラソンコース。
ハスが生い茂る池を横目に、
必死になって走った記憶が甦る。
地元出身の幹事さんも同じコースを巡ったとのこと。
また、偶然の縁が重なった。
約半日の小旅行穏やかな良い一日になった。

話は変わるが先週紹介したカズオ・イシグロ氏の
2作品『わたしを離さないで』『日の名残り』は映画化されています。
先週木曜日、講習会で放送芸術科OB、武藤 靖さん夫妻にお会いした。
3年位前にお会いして以来だが雰囲気が変わっていた。
ひげを剃られたそうで最初解らなかったのだ。
現在は私も見させて頂いている、ドキュメンタリー番組も手掛けて
大いにご活躍の様子。
優しげなまなざしと貫録が人柄の良さを感じた。
今後ともご活躍と健闘をお祈りします!

2015年05月13日
5月13日(水)季節外れの台風が過ぎて、文字どおり台風一過の夏空。朝から東京は日差しが刺すように痛い。このまま夏にならないように。

OBの皆さんのGWは如何でしたでしょうか?
私はあまり遠出せず家でのんびり、ゴロゴロ過ごしました。
読みたい本も沢山あったので読書三昧?と散歩。
ミステリー関係はあえて封印。
傾向の違う作家のものを読み耽っていました。
前から気になっていた作家カズオ・イシグロの著作を読みました。
まず、『日の名残り』土屋政雄訳ハヤカワepi文庫。

イギリス名家に仕える執事の半生の記憶と回想。
彼の終生のテーマは、最善の執事の在り方とは?なのだ。
そしてその一つの要素として「品格」があると云う。
それには、お仕えするご主人の高貴な人柄も有り、
何よりもそのオーダーに疑問を挟まず、
つねにイエスと従うことこそが大事。
(彼の父親も有能な執事だった)
先の大戦をはさんで彼は影の政治の舞台裏を
黙々とセットしてきた。
大戦前のヨーロッパを暗躍した政治家も、
その名家で密かに会談を重ね根回しに奔走する。
執事は何十名の使用人に、その舞台づくりを差配するのだ。
自分に深い恋心を抱く女中頭の思慕など眼中にない。
やがて大戦も終結し反体制側のとり持ちをした主人は、
失意のうちに亡くなる。
古く伝統に満ちたその屋敷は、アメリカの富豪のものになった。
イギリスの文化と伝統を愛するアメリカ人は、
執事もそのままでという条件で買い取る。
その頃彼は十分に年老いていた。
ある日、今の主人が執事に車を貸し与え、
ねぎらいの休暇を勧める。
その前に、彼はかつての女中頭が結婚して手紙をよこしていた。
旅の終わりの日に、彼女に会う予定なのだ。
そして彼は一週間の旅に出る。
彼はその旅先で記憶の糸を紡いで、
深い回想と悔恨の旅をたどって行く。
一人称小説で細やかで丁寧に語られる彼の身上、巻き戻せない過去。
彼が辿りついた先はいったい何があるのか・・・。

カズオ・イシグロ。
5歳の時渡英、1989年『日の名残り』でブッカ―賞を受賞。
イギリスで最高の権威ある賞だ。
陰りゆく英国のひとつの象徴的職業である「執事」。
日本生まれの作家が、これを長編小説にしたことの驚き。
イギリス人以上に、客観的にイギリスを語れた優位性。
ケレンミのない淡々とした丁寧な語り口。
今そこで主人公の煩悶と悔恨が伝わってくる。
きめ細やかに読者の心の襞に浸透していく。
時間がたつことを忘れて(翻訳も優れていて)
読み耽ってしまうのだ・・・。
そして同じ作家の一冊、『わたしを離さないで』土屋政雄訳。
これはどんなジャンルの小説なのか。
物語は臓器提供を宿命づけられたクローン人間たちの、
はかない、しかし必死に生きようとした人生を描いた傑作である。

主人公のキャス(キャッシー)はクローンたちを養育する学園で育つ。
男女共学の寄宿舎の生活は青春モノのストーリー展開だが、
学生たちとの細やかなやり取りやちょっとしたトラブル、
好きな生徒嫌いな先生、気になる男子生徒。
囲い込まれたように佇む学校。
読み進んでいくにつれ、普通の学園生活には謎めいたことが起こる。
それも決してドラマチックのものではなく、薄皮をむくような
精妙な筆致で語られていく。
スリラーでもSFでもなく緩やかに語られる悲劇。
近い将来臓器提供が決まっている青春群像。
イシグロ氏は、まるで何事もない様な語り口で淡々と描いていく。
焦点深度の深い映像で、細部が想像を超えて展開。
きわめて精緻に彫り込まれていく。
文章の一つ一つが短くはかない彼らの命運を刻む。
キャスは提供者を看取る介護人となり、
自分たちの人生や命についての想いを馳せる。
ラストでは感傷を廃した心象風景が重なる。
すぐに来るキャスの命の終わりに、
今は無い荒涼とした学校の跡地に佇んで・・・。

こんな平易な言葉で多くの悲しい生が失われていく物語。
ドリー(クローン羊)を生んだ国で書かれた。
わたしたちはいずれ自分の命が失われるのを知っている。
他の人をすくうための命を持っていることも・・・。
久しぶりにすぐれた小説に出会えてよかった。
カズオ・イシグロ氏に感謝と賛辞を送ります!
今年の6月にイシグロ氏が来日の予定だとか。
