東放学園

TOHO会

TOHOKAI
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今日も絶好調

2014年03月

2014年03月26日

3月26日(水) 昨日東京は気温20度を超す暑いぐらいの陽気、半袖やTシャツの若者で街はすっかり初夏の気分。桜の開花宣言も出て長かった冬が終わりそうです。


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今週の月曜日、
千代田区の麹町で
番組製作者連盟の交歓会があった。
昼時なのに
数百名の放送業界関係者で、
パーティは満員。
在京各局が
春の番組改編を終えたばかりで、
挨拶にも熱がこもっていた。

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今回の集まりは
各社の人たちの挨拶時間が簡潔で
解りやすくて良かった。
それなりに出席者のメンバーが
若返っていて雰囲気も変わっていた。

そしてこの日は、
30年振りで
TOHOのOB、伊藤慎一さんにお会いした。
一目であの頃の彼を
思い出していた。
当時から優秀でまじめな人柄は
今でも変わっていなかった。

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当時の卒業生は、
姓名もいまだ忘れずにいる。
(昨日の昼飯は思い出せない時があると云うのに)
やっぱり年なのだろう…。

伊藤さんは
今や百五十人を超す
制作プロダクションの代表者。
それなりのご努力も有ったようだが、
こうして再会できて
単に元教師としては
この上もない喜びである。
もちろんこの会社でも、
彼に続く後輩が多数お世話になっているそうだ。
TOHOのOBの輪が
地下茎のように広がっているのは
学校の大きな財産である。

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2014年03月19日

3月19日(水) 昨日、東京は暑いぐらいの陽気、折からの強い南風が春の訪れを告げました。近くの小学校では早咲きの桜が咲き始め、町内会では花見の準備の提灯が風に揺れています。

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今月のブログは
映画に絡んだことを書いている。
なので久しぶりに
映画館に行った。
しかも何十年振りに
新宿・武蔵野館。
新宿東口徒歩一分なのに、
足が遠ざかっていた。
東口の風景もだいぶ変わっていた。
新しい建物が林立、
知っているのはビアホール【ライオン】だけ。
映画館は細かく分かれ、
シネコンになっていた。
80人定員の
小さな試写室の様な佇まいで、
『ネブラスカ』を観た。

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アメリカ映画、
白黒の懐かしい映像だ。
荒涼としたアメリカ中西部の街。
西部劇のステーションが
そのまま残った感じの町並み。
主人公の老人はブルース・ダーン、
アレクサンダー・ベイン監督
アカデミー賞にノミネートされた作品。
ある個所からある場所に旅するドラマ、
ロードムービー。
片田舎の老人に
「あなたに100万ドルが当たりました」
と怪しげな手紙が届く。
老いて頑固な老人は
それに夢と生きる望みを賭けて
モンタナ州から隣のネブラスカ州・リンカーンまで
歩いていこうとする。
ハイウエイの一人歩きを
パトカーの警官が止める。
それでも行こうとする父親に
息子が車を出す。
途中、
親類や老人の仲間たちにからかわれたり、
昔、世話したのだから
賞金をよこせと脅す奴も出てくる。
貧しげな田舎町の風景や、老人や失業者が
家でゴロゴロしている。
あのハリウッド映画とは全く違う
アメリカの横顔だ。
話は結局100万ドルはやはり嘘の話で
老人は落胆してしまうが、
息子が思わぬ行動に出る…。
何かとってつけたような結末なのだが。

久しぶりのモノクロ映画。
と言うより
グレーが基調のトーンで語られる、
白黒の輪郭をくっきりさせない手法なのか。
老人の心象風景を描くには
ふさわしいかもしれない。
人間、最後は色のついていない世界に戻る?
けれど死ぬまで色即是空の境地に至らない。
年齢なりの欲望や夢を
頼りに生きていく。
私も子供のころに観た
日本映画を思い出していた。
懐かしさもあってこの映画を観たが、
年老いた頑固爺の生きるよすがにかける執念。
人という存在の面白さ、危うさが
透けて見えたような気がした。

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ロードムービーで良かった作品は、
『スケアクロウ』
アルパチィーノとジーン・ハックマンの作品。
ジム・ジャーミッシュの
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』
が心に残っている。
個人の趣味から言うと
“何げない風景”が主役の方が良い。
バックの風景、道端の花や廃屋、雲の流れが
人間のドラマ以上に
存在感を出している方が好きだ。
役者たちが
暑く演技すればするほど間に挟む。
何気ないショットが
効果的に効いてくる。
映画は生の舞台ではなく、
映像というメディアで加工しているのだから。
その特性を生かす画面構成が大事と思う…。

映画館を出ると
春の雨と風が吹いていた。
人々は傘を倒しながら
駅に急ぎ足で歩いていた。

春の香りがしてきた…。

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2014年03月12日

3月12日(水) 今朝は気温も高く春めいた南風が心地よく、このままスーッと春になれば良いのにと思いました。あの3.11からもう3年。被災地の復旧はまだまだの様です。

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月日の経つのは
本当に早い。
3年前、私は
赤坂の事務所にいて大揺れの洗礼。
あの3〜4分間、
「もうダメか…!」と思わず口にしました。
その夜は6時間以上かかって帰宅。
深夜2時過ぎに
道幅いっぱいの人、人の流れで
溢れかえって、
家に着いたら汗だくでした…。

昨日、報道は一斉に
『あれから3年』特集。
改めて被災地の復旧の遅れが目立ちます。
“大きな揺れ”で済んだ私には
多くを語る資格はないが、
一日でも早い回復をお祈りします。
最重要な記憶、
絶対に風化させてはいけない…。

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前回のブログで、
アラン・レネ監督の逝去から
私の映画青年時代の思い出が甦り、
「記憶」と「忘却」をテーマにした
『夜と霧』を取り上げてみたが、
その後
『ヒロシマ・モナムール』
『去年マリエンバードで』も。
2作品では
「見た」「見ていない」
「会った」「会っていない」がキーワード。
人間の記憶の曖昧さと
自分の都合の悪いことは忘れてしまう習性。
レネ監督は、人間は自分の都合のため、
生きていくためと称して
過去の出来事を単純に「消去」してしまう」
都合のいい存在としてとらえていく。
『ヒロシマ・モナムール』の主人公、
かつてナチの将校と恋仲で
戦後迫害されて過去があった。
「戦争」等悲惨な過去は
そうして忘れてしまう。
その後、ヒロシマを訪れた彼女は
原爆の悲惨な過去に涙する。
「私はヒロシマを見た」と。
日本人の彼は
「あなたはなにも見ていない」という。
目の前に悲惨な写真や陳列品を見て
同情しているだけなのだと。
「本当の過去と向き合って、
 その時(ナチの残党として迫害された記憶)の自分と
 対峙しなさい」
そのことで
本当の自分を回復できるはず。
“追体験の主体的意味”を
映画の時間と意識の流れがクロスワードされる。
ヒロシマの悲劇を観て
彼女の潜在意識が
十数年前の自分と同化していく…。

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最初、私は
この作品が何を言っているのかよく解らなかった。
もちろん当時はVTR作品が無かったので、
追いかけて映画館を2館も巡った。
ノート持参でパンをかじりながら終映まで。
その頃、映画は私の先生、
そこから学んだことは膨大だ。
1年間に400本近く見ていたのだから。
(二本立て、三本立てはあたりまえ)
今はもうあんなに真剣に
映画と向き合うことが少なくなった。
少し寂しい気がするのは
年のせいなのか。
深く考えて視る映画が
少なくなったせいなのかもしれないが。

先月、
東放学園の元講師、
大島先生(歴史研究)が亡くなった。
先生からは生前、色々なご薫陶を頂いた。
私にとって“知の巨人”だった。

また一人敬愛する人が
逝ってしまった…、残念。
          <合掌>

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2014年03月05日

3月5日(水) 今日は朝から冷たい雨が降っています。春先の天候は気まぐれ、寒暖が烈しい。「春霙 (みぞれ)」にならなければ良いのだけれど…。


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前回、図書館の『アンネの日記』が
破損される事件を書いた。
その折、
フランクルの「夜と霧」に触れたが、
その映画作品を撮ったフランスの監督、
アラン・レネ氏が先日亡くなった。

学生時代(1960年頃)は、
フランス・ヌーベルバーグが
各自、自由奔放な作風で
若者の心を捉えていた。
手持ちで移動する撮影、
画面のブレも演出のうち。
モダンジャズをバックに
音響も斬新なのだ。
私たちのサークルも
日本映画は片隅に追いやられていた。
その頃、先輩の一人が私に
「映画をもっと知性的に見るなら
 アラン・レネを観るように」
と教えてくれたが、
なにせ記録映画の短編ばかり。
その頃は『ぴあ』も無くって、
苦労して上映館を探し、
ようやくアテネフランスや日仏学院の
上映会にたどり着いた。
短編『ヴァン・ゴッホ』『ゲルニカ』を観た。
淡々とした詩的で、
思索的なナレーション。
絵画の画面を効果的に切り取り、
クロースアップや移動を繰り返す。
新手法のドキュメンタリー作品
(当時は記録映画と言っていた)に感動。

そして翌年、
あの『夜と霧』に出会う。
30分ぐらいの短編だが、
ナチスのホロコーストのひとつの象徴。
ポーランド南部にある
アウシュビッツ強制収容所跡の記録映画。
カメラは今は廃墟になってしまった、
そこにある貨車の引き込み線を
ゆっくりと前進移動していく。
押さえたナレーションで。
まさにここで、
十数年前に
とてつもない惨劇が行われたことを告げる。

『夜と霧』
“夜”陰に紛れて
“霧”の様に消す。

ナチスの暗号名。
計画が実施される。
一つの民族を消し去る、
ホロコースト計画。
ガス室の後、
遺骨や遺髪の山を
ダンプカーが穴に落とし込む。
終戦時、
解放された時の記録映像をインサート。
今は単なる田舎にある
レンガづくりの施設からは、
想像もつかない大きな負の記憶が甦ってくる。
当時のナチの関係者は
声を揃えて言う。
「私には責任はない、
 ただ上官の命令でしたこと」と。

この映画では、
現在のアウシュビッツ風景から
過去の忌まわしい事実を断罪していく。
細かいカットバックや記録映像を
効果的にコラージュして、
忌まわしい過去を忘却。
すぐ前に進もうとする人々への
警鐘を鳴らす…。
当時の記録映画としては
画期的な作品となった。
もちろん映画は
頭で見るモノではないが、
映像を分析的に、論理的に
構成する手法もあるのだ。

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イギリスのドキュメンタリー映画の父、
ポール・ローサは、
「ドキュメンタリーとは現実の創造的劇化」
と言う。
現実・事実を作家のテーマに則して再構成して、
真実を劇的に創造すること=ウ〜ン(かえってヤヤコシイ!)。
起きている・起きてしまった事実(映像)を
作家の考えをもとに、
新たな考えやテーマを導き出すことらしい…。
ひりの監督から学んだことは
本当に多い。
この文章が
アラン・レネ氏への追悼になればいいのだが。                        
          <合掌>

この頃は
青春期に感銘を受けた方々が
逝ってしまうことが多い。
まだ後ろを振り返る余裕があるのは
良い人生なのだろう。

3-5-3



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