東放学園

TOHO会

TOHOKAI
東放学園同窓会のためのTOHO会へようこそ!
今日も絶好調

2014年02月

2014年02月26日

2月26日(水) 東京、路地裏にはまだ少し雪が残っていますが、昨日今日は日差しが暖かく春近し、 もうすぐ3月。新入生募集、期末試験、卒業式と学校は忙しいようだ。


2-26-1

何故か先週から飲み会が続いている。
昨日は26年前の放送芸術科のクラス会。
もちろん全員ではないが、
集まれる人だけでミニ飲み会。
何時も多くても十人ほど。
当時から
何時もつるんでいたOBたちのグループが
声を掛けてくれた。
何かと云うと今でも
「先生はお父さんの様な存在」らしい。
素直にうれしいと思う。
当時、東放学園は
入学生が急増して手狭になり、
校舎を転々と変えていた。
彼らの入学時の校舎は
新宿ヒルトンホテルに隣接したビル。
昼前には隣のホテルの厨房から
いい匂いが漂っていた。
(まるで調理学校のよう)
彼らのクラス担任として
教室で始めて会った時、
妙にシーンとして
全員が緊張していた。
どうしてそうなのかが分かったのは、
出張してい間に副担任が
「あの先生は凄く怖い人だ!」
と刷り込んだらしい。
軽い冗談ジャブが利きすぎたようだ。
暫く生徒は本気でそれを信じていた。
この期の学生は元気で、
クラブ活動も盛んだった。
夏のクラブ合宿では不測の出来事が起こり、、
後処理に大変苦労をしたのを
今でも思い出す。
今後とも
お預かりしている学生さんの無事を祈ります。

2-26-4

そんな彼らも
“アラフィフ(50)”になろうとしている。
良きパパや、ママだったり、
業界人として
バリバリ仕事に励んでいるようだ。
それぞれ個々には
いろんな悩みを抱えているが、
こうして集まり、
近況報告や愚痴の言い合える機会があるのは
良い息き抜きなのだろう。
元担任としては
そんな彼らの話をウンウンと頷きながら、
人生はまだまだ、
いまここから始まる。
きっと先は長いようだ、
とも思う。
わざわざ私を呼んで頂いて
本当にありがとうございました。
楽しいひと時でした!

2-26-2

話は変わるが、
最近、東京の図書館で
『アンネの日記』が
300冊以上も破損される事件は、
大きなショックだ。
なにを意図して
誰が何を目的にした犯行なのだろう?
「本」は文化だ。
中でもこの物語は
戦争の悲惨を一人の少女が
背負うにはあまりに重すぎるものだった…、
そのことを伝えている。
このような歴史的な著作を破ってしまうことは、
天に唾するに等しい、
許しがたい犯罪行為である。
同じように心配なのは、
『夜と霧』V・フランクル著。
ナチの強制収容所から
奇跡的に生還した物語だ。
学生時代に読んだ中でも
特に心に残っている一冊。
極限状況の中で
人間らしさを失わず生き抜くこととは、
愛や信頼の強さ、
想いやりが描かれているのだが。
心配し過ぎかも…。

2-26-3



toho_sakuma at 18:00TOHO会・OB東京 この記事をクリップ!

2014年02月19日

2月19日(水) 東京でも2週続いての大雪、こんなことは今まであまりなかったような気がします。そ れにしても、今年の冬は永く寒い意。表に出ると残った雪で風が冷たい。

2-19-2

この頃、毎日TVで
ソチ・オリンピックを観る機会が多い。
少々寝不足気味である…。
そしてまたBS放送で
見ることも多い。
地上波に比べて予算も少ないせいか
工夫を重ねた番組が多い。
しかしCMは損保、健康補助食品、健康器具が
圧倒的に多い。

高齢者社会と云われて久しい。
年金の受給年齢も
いつの間にか上がっている。
先頃、団塊の世代が一斉に65歳を超えた。
私の世代の3〜4倍の人口だ。
何せ大きな塊としてのパワーは凄い。
何時だって
熾烈な競争社会を生き抜いてきた。
進学、就職、結婚…。
割とのんびりと育った
われわれ世代とは数と勢いが違う。
常に自分の存在を明らかにしないと
生きにくいようだった。
最近リタイアした彼らは
数の多いのは自明であるのだが、
一方では消費社会の
大きなマーケットのターゲットでもある。
これからの“長寿日本”を支える
ニューオールドエイジの誕生。
競争社会を生き抜いた彼らのテーマは、
「健康で長生き」と云われているようだ。
ご夫婦がそろって
サプリメントを愛飲している映像。
「もうこれは手放せませんね!」と。
画面の隅にはチラッと
「これは個人の感想です」と
お約束のコメントだが、
初回お試しは無料!と煽る。
長年生きていれば
何処かしらガタが来るのは当たりなのだが、
もっと、もっと、
人より良い状態で、
健康でいたい。
人間の欲は果てしない。
限りある人の命。
アンチエイジング志向が
強まっているようだ。
これだけ老年層が多くなった割には、
“成熟”とか“老成”“円熟”などの
言葉が霞んでいるようだ。
「これからが本当の青春!のあなたに!!」
同年代としては“負けていられない”のか、
またまた“健康競争”のサプリメントの競売。
地上波でも
「あなたは知らないうちにこんな病気になっているかも」的な
番組やドクタードラマが
知らないうちに増えている。
フィジカルエリートを目指す人々が
多くなってきた。

2-19-1

その一方、
「年の取り方が分からない」と云う声が聞こえる。
心と身体の折り合いをつけていくことの難しさ。
“成熟”の手本となる層が薄い現代日本。
好々爺、御隠居さんは
死語に近いのか。
いつまで“若さ”に拘ることが命題!?
出来ればもっとゆったりと
自然体で生きることが出来ないのか。
社会全体の流れが
“終わりなき青春幻想?”を夢見ている。
『「若作りうつ」社会』熊代亨著(講談社新書)は、
同じような内容を精神医学・社会心理学的に分析。
「生き方」から「死に方」のライフスタイルが
明瞭でなくなった社会。

『楢山節考』
(深沢七郎著の同名の映画化 監督:木下恵介)では、
姥捨て伝説からヒントを得た異色の短編小説。
年老いた母が自ら家族を生かすため、
山奥に捨ててほしいと息子に頼む。
…昔の伝説によれば、
老人はある年齢になると
自ら山の奥に消えていったそうだ…。
当時文学界にも大きな波紋を呼んだ作品だった。

「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」
D・マッカサ―の演説で有名な言葉。
「Old soldiders never die, that just fade away」
自分が老いて亡くなっても、
存在しなくても、
その思い出や面影は残って欲しい…
          (勝手に意訳)

かく言う私も
自分の行く道はおぼろげだ。
またまた答えのない問いに
ぶつかってしまったようだ。

2-19-3



toho_sakuma at 18:00映画・TV風景 この記事をクリップ!

2014年02月12日

2月12日(水) 今年、こちら東京も雪の当たり年? 道端には先週末の大雪がまだ残っている。週末も予報ではなんだか雪になるとか、雪国のOBのご苦労が身にしみてきます。


2-12-1

気候の話になるが。
イギリスではテムズ川上流地域が、
250年振りの大洪水に見舞われている。
国を選ばず、
自然は時に過酷だ。
人間は時として
「人間の為に自然がある」
と錯覚。
自然に対する畏怖や畏敬の念が
薄まっている。
IT、インターネットで世界を共有、
制覇したと勘違いしている。
自然観が
甘くなっているようだ。

先週末、夜に
ほんの数百メートル離れたスーパーに
買い物に行った。
玄関を出たら案の定、大吹雪!
傘も役に立たないほどの凄まじさ。
往復で30分もかかった。
途中で全く視界が無く、
ホワイトアウト状態。
山の中だったら、遭難かも。
翌日のニュースで、
東京は45年振りの大雪と報じていた。

2-12-2

この10年ぐらい前から
“世界観”と云う言葉が
多く使われているようだ。
“人生観”
“人間観”
“宗教観”
“自然観”…。
ひとくくりに大きくものを述べるには
便利なようだ。
この頃は「独自の世界観をもったゲームで…」などと
使われるほどだ。

あの宮沢賢治の自然観は
『グスコーブドリの伝記』にあるように
厳し過ぎる自然に挑む人間の
無力さを描いている。

粘菌の研究で知られる異能の生物学者、
南方熊楠も10ヶ国語を習得し、
博物学、民俗学、宗教学、社会学、歴史学と多方面から学び、
それこそ独自の世界観を語った比較民俗学の論文を
世界的に権威がある英国の科学雑誌『ネイチャー』に投稿。
20世紀初頭、早くも天才的な存在だった。
日本では評価されず
故郷の和歌山・田辺で粘菌の研究。
一生在野で終えた。
早すぎた存在だった。

2-12-4

その頃、世界はパリ万博で
「科学文明」をテーマに
産業革命の総決算。
経済成長が重要であり、
それを支える科学技術を振興する。
以来、世界は科学・機械文明主義に
パラダイム・シフトしていく。
その結果得た幸福。
しかし悲惨な戦争が起こり、
新たな人間の社会格差が大きくなった。
自然との共存ではなく、
収奪としての自然に置き換わっていく。
制御できる存在としての自然と、
多寡をくくってきた。
大きな世界戦争の結果、
植民地を持った国が世界経済を主導してきた。
果てしない欲望、
国と云う名を使った我利、我欲。
今でもそれは続いている…。

2-12-3

前回のブログで紹介した
『科学者が人間であること』中村桂子著(岩波新書)
を読みながら(まだ途中だが)想った。
生物化学者(ゲノムの研究者)が、
数理研究に陥りがちな科学者やわれわれに、
もっと人間という存在を
自然の中の一つの生き物として
「世界観」を再構築することを
提唱している。
もっと謙虚に、
古来自然を神として敬ってきた日本人は、
それらの事を再考する懐があるはずだと…。
そんな本に出会って
しばし考えてみた雑感。

…雪の中、
 街は色と音を消し去っていた
 日曜日の午後のひと時に…

toho_sakuma at 18:00東京風景 この記事をクリップ!

2014年02月05日

2月5日(水) 昨日はもう立春。でも東京は午後から雪模様の天気。そして、雪の明日。今日は朝から ド・ピーカンの天気、サングラスを掛けて表に出たほど。

2-5-1

先頃、科学の世界で
またまた大発見があった。
万能細胞STAPと名付けられている。
小保方晴子博士。
いわゆる理系女子のグループの業績だ。
ES細胞-iPS細胞(人工多能性幹細胞)でも
すごい発見なのに、
…ある細胞に刺激を与えると、
身体を構成するあらゆる種類の細胞になる
という夢の様なもの…らしい。
何処までこの分野は
進歩していくのだろうか。

2-5-22-5-3

医療格差は今でもあるが、
今後近い将来、
金持ちは臓器・細胞を交換しつつ、
世に言う“不老長寿”を
手にすることが出来るのだろうか。
まるで機械の部品交換。
フランケンシュタインの怪物!
コンピュータのように
再起動(reboot)可能!?な人の命。
それまでして生きながらえる
人生の意味とは?
天寿を全うするだけでも
素晴らしいことだが、
人間の欲望は果てしない。
もっと! もっと!! 
が多すぎるような気がする。
だとすると宗教観、倫理観も
大きく変わっていくはず。
確かに科学の恩恵で
豊かに、便利になったこの世界。
しかし、
一方では失ったものも多い。
安全神話が崩壊した原子力等等…。

2-5-4

先日、
『科学者が人間であること』中村桂子著(岩波新書)
を読んだ。
第一章「生き物であることを忘れた人間」
とある。
…科学的であるとは
多くの場合数字であらわされる。
そのおかげで
より進歩した、暮らしやすい生活が
出来るようになった。
ただ、生命科学が万能ではなく、
自然の中の命に向き合う文化をもった私たちは、
自然の中に神や仏を見出だし
他の生き物たちと共生、共感してきたはず。
西洋科学の分析手法で
生命体の構造と機能を知るだけでは、
生命とは何か、と云う問いには
答えられないことが明らかになりつつある…。

………またの機会に読後感を述べます………

2-5-6

人間は何でも知っているようで
何も解っていないところが、
時として疑似科学的なことで
云い募ってしまう。
前を向いて歩くのは良いのだが、
置き忘れたり、
踏みつけにしてきたものも多いようだ。
そんな存在が人間なんだ、と。
それを言ったらおしまいかもしれない。
もっと謙虚に、
身の丈に合った、
素直な生き方がしたいと思うのだ。

庭の紅梅が咲いた。
隣家の蝋梅の香りがする。
ゆっくりと
季節が動いているようだ…。

2-5-5




toho_sakuma at 18:00風景東京 この記事をクリップ!
最新記事
Archives
livedoor Readerに登録
RSS
livedoor Blog(ブログ)