2013年10月
2013年10月30日
10月30日(水) 今年の気候異変は日本だけではなく、ヨーロッパでも。TV映像では風速50mの大風で人が飛ばされていました。地球も住みにくくなって来たのか?
今日は秋らしい好天。
もう晩秋が近付いてきた。
近所の公園で、
菊花展の準備が始まった。
そばを通ると、
菊の花の香り。
やがて来る寒さの訪れが
近いことを感じる。
一年間、
丹精込めて育てた菊たちの
晴れの舞台なのだ。
なぜかホッとするような香りと
凛とした佇まい。
昔のサムライを
想起する。
上田秋成の『雨月物語』。
不気味な話の中でも
『菊花の契り』や『吉備津の釜』が
思い出される。
中学校の図書館で、
秋の夕暮れ時
この本を読んでいたら、
あたりはすっかり暗くなってしまい
館内は自分一人きりになってしまった。
何か妙に不気味な気分になって、
読書を切り上げ
学校の廊下を走って帰った。
足音が校門まで付いてくるような気がして
後ろを振り返ってみると、
花壇の菊の花が
じっと見つめていた。
その黄色い色が
今でも忘れられない。
このところ
昭和の香りがする人たちが
ずいぶん逝ってしまった。
詩人の飯島耕一氏。
学生時代、
詩集『他人の空』を読んで
こんな平易な言葉で
自分の置かれた弧絶を表現できるのか、
感動して言葉もなかった。
* * * * *
空は石を食ったようにあたまをかかえている。
物思いにふけっている。
もう流れ出すこともなかったので、
血は空に
他人のようにめぐっている。
『他人の空』より
* * * * *
シュルレアリスム(超現実主義)
という言葉が甦ってくる。
言葉はその根幹で
お互い繋がっているが、
表に出るときは(言語表現として)
皆、違う衣をまとっている。
詩人の仕事は
その言葉たちと格闘し、
飼いならし、
魔術のように織り込むことだ。
大岡 信、谷川俊太郎…。
同時代の似た系列の詩人たちも好きだ。
天野祐吉氏も
亡くなってしまった。
1980年代『広告批評』という月刊誌を創刊。
資本主義がら限りなく生まれる
“モノ”や“商品”。
それを、
時代背景を浮き彫りにしながら、
ウイットと軽妙なタッチで
やんわりと棚卸。
売らんかな、や
センスの悪いCMはご免!と。
商品そのものの奥にあるものを
感じ取る。
批評眼が大切だ。
CMは
ユーモアがなくては駄目だ。
知的で優しい“江戸っ子”が、
また一人逝ってしまった。
『CM天気図』
欠かさず読ませてもらいました
……合掌……
2013年10月16日
10月16日(水) またまた大きな台風がやって来た。今年はいやなものの当たり年、このまま秋の味わいや、いいところが少なくて晩秋になってしまったら残念ですね。
ついこの間の夜、
卒業生からTELがあった。
TOHO会の小河原会長と一緒の
飲み会の様だった。
放送芸術科の3期生男子K・Tさんだ。
開口一番、
「先生大好きです!」だと。
かなり酔っているのだろうか。
もう良い年のオジサンが言うセリフか。
こちとらシラフなんだぞ
と思いつつも、
何か懐かしくて、
(声は変わっていなかった)
あの人なつっこい彼のイメージが
甦って来た。
かつて私が所属していた
制作プロダクションに入っていて、
懐かしい昔の同期の話をしてくれた。
“K谷T彦”さん、
業界を生き抜いて来られたようだ。
本当に優れた生命力だ。
彼の名前をフルネームで覚えていた。
今でも5期生ぐらいまでのOBは
思い出せる…?
当時、
担任は閻魔帳(エンマチョウ)と呼ばれた
教務手帳を持っていた。
ワープロもなく、
各自手書きで、
学生の氏名、生年月日、出席・成績、住所などなどを
記入していた。
何度も使っているうちに
覚えたのかも。
古い期のOBにフルネームで答えると、
「ホントによく覚えていてくれたんですね!」と
しきりと感心されたりすることが多い。
この頃は、
昨日の昼飯を覚えていないのに。
大脳・新皮質が退化して、
古い記憶層が活躍している。
これが年を重ねる一つの特性かも。
「好きです!」
酔っぱらった勢いでも
それは少し嬉しい。
今度は素面で言ってみたら…!
K・Tさん。
この頃OBの方に
「先生、大分丸くなったようですね」
とよく言われる。
教師現役の頃はいつも、
ある種の緊張感を持って
言動がきつかった。
もちろん意識してやっていたことなのだ。
その後は
人生の様々な局面を経験して、
色々な表現で対応する知恵を得て、
折り合いをつけてやるようになり、
むしろシャープに断定したり、
独善的になることを
避けるようになった。
自分の場合は、
歳を重ねるうちの要素だと思う。
そう云えば来年は“古希”。
早いものだ。
そんなこんなで、
たまにOBの方に
私の存在を懐かしがっていただいて、
感謝している。
やはり古い期のOB、油谷誠至監督作品、
『飛べ! ダコタ』が公開されている。
在学中は
シャイで頑固な男っぽい学生だった…。
終戦後間もなく佐渡に不時着した
英国の輸送機の話。
是非、見に行かねばと思っている。
2013年10月02日
10月2日(水) 今日は台風の影響で、午前中は雨風やや強く、なんだか湿度がたかくて妙にムシムシした天気だ。西日本では30度超えの夏日。まだまだ妙な気候ですね。
この頃良く夢を見る。
割とリアルな感じのモノが多い。
悪い夢は「五臓の疲れ」とか。
普段、忘れている昔の知人友人が、
こぞって現れたりする。
そして普通の会話を
当たり前のようにしている。
夢見の構造は
まだ良く解明されていない。
そしていつも
1時間も内容を覚えていられない。
つまり思い出せない。
あんなに強烈な内容でも
細部から崩れていく。
春の淡雪の様に消えてしまう。
まさにそのとおりだ。
日常生活で
もしかしたら見ないように、
かかわらないように、
避けていた人や事柄が、
無意識の領域に仕舞い込まれてしまう。
夢は、
それ自体が無意識の開放区。
過去へのランダムなタイムトリップ。
懐かしかったり、
悲しかったり、
妙にはしゃいだ気分にさせたり、
本当に不思議いっぱいだ。
良く赤ん坊が
寝ながら笑ったりしているのを
母が、
「あれは蟲笑いと云って
前世の事を思い出しているの」
と云っていたのを思い出す。
記憶が遺伝子にも組み込まれている?
また知らない道を歩いている時も
「あれ、ここは前から知っている!」
デジャブ(既視感)に襲われ、
しばし考え込んでしまう時もある。
あの心理学者フロイトが1900年に出した
『夢判断』は凄い著作だと思う。
何せそれまでタブーだった無意識を
夢の研究で解明したからだ。
心の闇という底知れない深く、
暗い場所で計り知れない、
それでも、
当時もまやかしの
危ない人物と思われていたらしい。
心理学は学問ではない、
とも云われていた。
その後、
弟子のユングがさらに深めて
学問として確立した。
各民族の神話、民話に
集団の無意識の伝承と考えた。
今や発展して
心理療法として確立している。
人は夢を見ることで
心のスキャンをしている。
バグを発見しているのか?
夢は大変効果的に
心のバランス保っている。
とてもうまくできているかも。
「夢を観るから人間なんだ」とは
当を得ているかも。
でも、
犬や猫も観ている。
うちの犬も
寝ながらむにゃむにゃと
寝言ポィ声を出している。
やはり
脳がある生き物には
夢を観る装置があるのだろうか?
そう云えば
あのSF『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は、
題名からして哲学的な命題なのだ。
フィリップ・K・ディックの中でも
特に好きな一冊。
原題『Do Androids Dream of Electric Sheep?』。
また読みたくなってしまう。
映画『ブレードランナー』も
好きな作品No.1なのだ。
映画も覚醒している時に見る夢。
お金と時間を掛けてなら、
良い夢を見せてね。
お願いしますよ!!!