2013年02月
2013年02月27日
2月27日(水) 「冬来たりなば、春遠からじ」。というが今年の冬は特に寒い。久しぶりに週末、犬と遠出の散歩。まだ風が冷たかった。

「冬来たりなば、春遠からじ」は、
イギリスの詩人シェリーの詩文の訳とか。
If winter comes, can spring be far behind?
春は遠く、遅いようだ。
今年の冬は永く寒い。
梅も咲いているが、
香りを楽しむ天気が少ない。
雪国の人たちにとっても
大変厳しい冬だ。
毎日の様に
積雪量の記録更新とは。
東京にいる私が
このくらいの寒さに
怖気づいてはいけない。

そんな訳で
犬の健康の為にも、
自分の為にもと、
遠出をしてみた。
私の住んでいるところは
山の手ではなく、
川の手と云うらしい。
川と川とに囲まれた
ゼロメートル地帯だ。
南北に広がった区で、
端から端まで広がり、
バスで1時間もかかってしまう。
かつては農家が花を作ったり、
金魚の養殖をしていたようで、
その名残が微かにある。
ここ2〜30年来、それらが宅地となり
建売住宅やマンションになった。

また町工場も
歯抜けのように無くなり、
高齢者専用のマンションに変貌した。
今や流行りの24H看護付きだとか。
それにしても
近所の独居老人が
増えたような気がする。
買い物カートを押しながら
100円ストアに買い出し
まだ歩けるうちは良いのかも…。
とある街角にある
町民会館わきに、
「国旗掲揚場」の石碑。
側面には
“皇紀2600年記念”とある。
戦前昭和15年に建てられたものだ。
会館の中では
それなりの年配の方々の
カラオケが聞こえてきた。
どうも軍歌ではなさそうだ。

この区域は
なぜか江戸時代から続く
古刹・名刹が多い。
山門があり
徳川家由来とか、
とにかく立派な佇まいである。
また五色不動のひとつ
(目黒不動でご存じのように)
「眼黄不動尊」も区内にある。


温かい日溜まりの中、
寺の山門には
なぜか猫が似合う。
少し風が出てきたので
犬も、私も、
急ぎ足で家路に着いた。
2013年02月20日
2月20日(水) 昨日、東京は一日中寒さが続いた。そんな折に浅草に出かけた。スカイツリー効果なのか思ったより人が出ていた。それにしても毎日寒い! 帰宅してSFを読みふっけた。


昨日は用事があり、
小雪がちらつく中
久しぶりに浅草に寄った。
仲見世を歩くと、
修学旅行の生徒や外国人観光客で
予想以上に混雑していた。
スカイツリー効果が
まだまだ続いているようだ。


ポケットの小銭を集め
観音様にお参り。
寒いけれど、
何かホッとする。
さすがに近くのはなやしきの乗り物は
動いている気配がない。
昨年なら、
ほとんど、こんな賑わいは無かったろうに。
サッサと用事を済ませて家に帰ると、
本当に人心地がついた。
天気予報では
まだまだ今年は寒さが続くとの事。
一方、
今年は花粉がひどいようで、
昨年の倍以上だとか。
まして、
中国から飛来する黄砂と汚染物質が
上乗せされるらしい。
日本製の空気清浄機が
売れているとか。
また中国では
地下水の汚染もひどいようで、
まるで50年前の日本を観ているようだ。

急激な近代化の光と影。
こんな歴史は
繰り返してはならないだろうに…。
・・・閑話休題・・・
1960年代、
日本が高度成長になっていたころ、
当映画は
フランスのヌーヴェルバーグが話題となり、
SF界は
イギリスのニューウエーブが台頭していた。
環境問題や最終兵器で
既に滅んでいる近未来の地球の物語。
J・Gバラードの『結晶世界』や
ブライアン・オールディスの『地球の長い午後』は
傑作だ。
かろうじて生存している
わすかな人類の苦難の物語や、
奇妙な生き物が人類に代わって
生き生きと進化している新世界。
それまでの文明の進化が止まらない
科学小説(SF)が、
脳天気に思えるほどのインパクトだった。
「既に未来は滅んでいる、
そこから始まる物語…」

日本の作家、光瀬龍も
またその一人だった。
広大無辺の宇宙に描かれる
壮大な叙事詩。
何世代か経て
宇宙に送り出されたスペースマン達が
滅亡したはずの故郷、地球に帰ろうとする。
帰り着いた青い星は
どうなっていたのか…。
SFフアンはその語り口を
「光瀬節」と呼んで、
熱狂的なエールを送っていた。
『たそがれに還る』
『ロン先生の虫眼鏡』
『百億の昼と千億の夜』
…。
私自身は
“宇宙浪曲”とひそかに呼んで
楽しく読んでいた。
本日読了したSFは
『屍者の帝国』伊藤計劃×円城塔(著)
19世紀末、
ヨーロッパでは死体から「屍体」と呼ばれる
再生人間(アンドロイド?)を
作り出す技術が開発され、
(フランケンシュタインの人造人間・怪物の実用化)
日常生活から兵器にまで
使用されるようになる。
とても不気味な
歴史改編のSFである。
その秘密技術を調査するのが
シャーロックホームズでおなじみの
ワトソンなのだ。
荒唐無稽な話なのだが、
日本の明治時代も舞台になっていて
ある意味面白く読んだ。
この作品は先ごろ夭折した
伊藤計劃(けいかく)氏の遺志を継いだ。
芥川賞作家、円城塔氏の合作。
人間の生命とは。
意識の問題とは。
屍体まで「活用」する人類の文明観。
生きている人間の欲望は果てしなく、
その結果の悲劇の付けを
その時代の生者が払えきれるのか。
それにしても伊藤計劃氏の作品は、
何時も鋭いナイフを喉元に突きつけられたような
なんとも言えない緊迫感のあるものだった。
これからを期待していたのに
実に惜しまれる…。
今日は少し書きすぎたようだ。
最後までお付き合い頂いて
ありがとうございます。

2013年02月13日
2月13日(水) 今日、東京都心は雪にならず午後から快晴、陽ざしは暖かだが風が強く、寒さがひとしお、交通機関にも影響が出てきているようだ。

立春も過ぎ
春はそこまで来ているようだが、
こちらはまだまだ寒い。
例年になく
大雪にご苦労なさっている地方を思えば
贅沢だと思う。
先日の雪ですら、
こちらは慣れないとはいえ
滑った転んだの大騒ぎだった。

今日は用事があって新橋に出た。
駅前のSLが、
早春の日差しを浴びて
悠然と佇んでいた。
新橋の駅前も新しいビルが
訪れるたびに出来て、
何時も印象が変わっている。
「街は生き物」の典型なのか。
それにしても飲食店の多い街だ。
折からの強風に
はためいている幟(のぼり)。

珍しい「染めや」が
ひそりと店を開いていた。
「洗い張り」は
子供のころよく見た風景だ。
着物の記事を洗い、
竹ひごの様なもので
ピンと張り、干す。
ハンモックの様。
色とりどりの生地が
風にゆらゆら揺れて、
動く絵巻物のような風情があった。
帰りに
駅のキヨスクのスタンドに置かれている
タブロイド紙の見出しに驚く。
「北朝鮮今度は生物兵器か!?」
それにしても
不気味では済まない感情が
湧き上がってくる。
なにをどうしたいのか、
彼の国は。
中国はきちんとした態度で
接してほしいのに…。

先週、
両国の東京江戸博物館で
『尾張徳川の所蔵展』を観た。
誕生日が一緒の職員Yさんのお誘いだった。
帰りに元の両国駅を改造した
相撲茶屋風な居酒屋で
歓談した。
そういえばYさんも学園に就任の時、
私が面接をしたご縁が続いている。
ずいぶん昔のような、
昨日の様な気もする。

日の暮れが
だんだん遅くなって来た。
近所の蝋梅(ろうばい)が
仄かに香ってくる。
春がそこまで来ているのか…。
2013年02月04日
2月4日(月) 今日久しぶりに映画館に行った。行定勲監督の『つやのよる』を鑑賞。TVでは、やはりOBの大根仁監督の『まほろ駅前番外編』を楽しく見ています。

月曜日の午後壱、
映画鑑賞(映画専門学校から観賞券を頂いた)。
年金族ならではの気ままな時間。
ガラ空きの映画館は
妙に暖房が利きていて蒸し暑かった。
OBの行定監督の『つやのよる』を観た。
原作は井上荒野。
物語は「つや」をめぐる
男女の愛憎劇。
阿部寛が
やがて死を迎えようとしている
妻「つや」を、
懸命に看病しているところから始まる。
小泉今日子、大竹しのぶ、風吹ジュンと
豪華な女優陣。
彼女たちの視点が
それぞれに「つや」に対する心理劇となる。

行定演出は
熱くも冷たくもなく、
“独特”の間合いを取って
淡々と語る。
最後まで主人公の“顔”は映さない。
出演者全員が「つや」を語り、
そいて彼女の存在を謎めいた存在として
抽象化してしまう。
愛欲のほしいままに生きた女。
と彼女に関わった人々を
傍観者でもなく
当事者の熱さでもなく描くことは、
「色即是空的手法」なのか?
それでも人の世は
“男”と“女”永遠の謎。
今日も実在のドラマで溢れている…。
(エンドロールに学園の名前があり嬉しくなった)

映画館を出ると
狐の嫁入りのような
晴れていながら、
天気雨が降っていた。
ある卒業生のグループから
今年も誕生日に花が届いた。
毎年毎年、
本当のありがとうございます。
今年は黄色壱色で
キュートで嬉しい!
