2012年05月
2012年05月23日
5月23日(水) 先週、東放学園映画専門学校で「映画の作品研究」の授業があり、特別講師として本当に久しぶりに教壇に上った。
朝一の授業だと云うのに、
新一年生が階段教室一杯に
あふれていた。
映画界、アニメーターを目指す
受講生たちだった。

関谷校長先生の紹介で
授業が始まった。
鑑賞作品は
ソ連(ロシア)映画「ノスタルジア」(1983年)だ。
監督のアンドレ・タルコフスキーの作品の中でも、
私はこの作品が特に好きだ。
監督はこの作品でも
物質文明の過剰が、
やがて迎える人類の終末に
個人の祈りは有効なのか、
救済はあるのだろうか、
の問いかけとメッセージを暗示する。
もちろんタルコフスキー自身の
意識された問題である。

それから3年後、
チェルノブイリの事故が起こる。
その年1986年には
遺作となった「サクリファイス」があり、
彼の終末観が色濃く反映している。
この授業の前に家で
この「ノスタルジア」を見直したが、
映像の内容的な質は
30年前と同じ。
むしろ年を重ねて
より解ってきた箇所が多かった。

若い学生さんたちには
どうだったんだろうか。
あの思わず眠気が起きて仕舞うほど、
超・超ゆっくりなパンと移動撮影。
それだけ画面に集中させてしまう演出力。
少しくらいウトウトしても
シーンはまだ変わっていない。
やがて観る者は
画面の事物や
出来事の日常のベールがはがされて
人の心の奥深い領域へ導かれるのだ。
記号的な分かりやすい映像を見慣れていると、
何だこれはと戸惑う。
映像と意味が直列につながっている映画ではない。
監督は光や影、
そして水を主役のように用いる。
形が捉えにくい自然の存在が心の底に
忍び込んでくる。
浸み込んでくる。
ラストシーンは
廃墟の大伽藍に
主人公と犬が救われたように
座っているシーンは圧巻だ。
そして天使たちが舞い折れるように
雪がゆっくりと舞い降りる。

監督のタルコフスキーは
日本の文化、特に俳句が好きで、
自分の創作ノートにも言及している。
俳句はたった17文字で
深い世界を暗示していると。
黒澤明や小津安二郎を
尊敬していたらしい。
映像に関するこだわりの強さが
共通している。
タルコフスキーの作品は
難解と言われているが、
じっくりとひたすら謙虚に画面に入り込めば、
その世界観が、
映像美が、
堪能できるはずだ。
しかし
今回の授業での1年生の感想は
どうだったか。
大いに気に掛っているところではある。
先週末、
放送業界の総会懇親会があり、
30年位前の懐かしい卒業生とお会いした。
某放送制作会社の幹部で
活躍中のお二人でした。
左は渡部健二さん右は秋山誠さんです。

新一年生が階段教室一杯に
あふれていた。
映画界、アニメーターを目指す
受講生たちだった。

関谷校長先生の紹介で
授業が始まった。
鑑賞作品は
ソ連(ロシア)映画「ノスタルジア」(1983年)だ。
監督のアンドレ・タルコフスキーの作品の中でも、
私はこの作品が特に好きだ。
監督はこの作品でも
物質文明の過剰が、
やがて迎える人類の終末に
個人の祈りは有効なのか、
救済はあるのだろうか、
の問いかけとメッセージを暗示する。
もちろんタルコフスキー自身の
意識された問題である。

それから3年後、
チェルノブイリの事故が起こる。
その年1986年には
遺作となった「サクリファイス」があり、
彼の終末観が色濃く反映している。
この授業の前に家で
この「ノスタルジア」を見直したが、
映像の内容的な質は
30年前と同じ。
むしろ年を重ねて
より解ってきた箇所が多かった。

若い学生さんたちには
どうだったんだろうか。
あの思わず眠気が起きて仕舞うほど、
超・超ゆっくりなパンと移動撮影。
それだけ画面に集中させてしまう演出力。
少しくらいウトウトしても
シーンはまだ変わっていない。
やがて観る者は
画面の事物や
出来事の日常のベールがはがされて
人の心の奥深い領域へ導かれるのだ。
記号的な分かりやすい映像を見慣れていると、
何だこれはと戸惑う。
映像と意味が直列につながっている映画ではない。
監督は光や影、
そして水を主役のように用いる。
形が捉えにくい自然の存在が心の底に
忍び込んでくる。
浸み込んでくる。
ラストシーンは
廃墟の大伽藍に
主人公と犬が救われたように
座っているシーンは圧巻だ。
そして天使たちが舞い折れるように
雪がゆっくりと舞い降りる。

監督のタルコフスキーは
日本の文化、特に俳句が好きで、
自分の創作ノートにも言及している。
俳句はたった17文字で
深い世界を暗示していると。
黒澤明や小津安二郎を
尊敬していたらしい。
映像に関するこだわりの強さが
共通している。
タルコフスキーの作品は
難解と言われているが、
じっくりとひたすら謙虚に画面に入り込めば、
その世界観が、
映像美が、
堪能できるはずだ。
しかし
今回の授業での1年生の感想は
どうだったか。
大いに気に掛っているところではある。
先週末、
放送業界の総会懇親会があり、
30年位前の懐かしい卒業生とお会いした。
某放送制作会社の幹部で
活躍中のお二人でした。
左は渡部健二さん右は秋山誠さんです。

2012年05月09日
5月9日(水) 連休中に深川、浅草、上野と廻ってきたが予想通り人また人の大賑わいで、特にスカイツリー効果の浅草は凄かった。
天気の良い雨上がりの連休の中日、
深川の清澄庭園からその近くの
江戸資料館と現代美術館まで
足を延ばしてみた。

5月4日、緑の日につき
清澄庭園は無料開放だった。
新緑が池の水面に映え
風が心地よかった。
今度はすいている日に
ゆっくり来て見よう。

そこから現代美術館は
歩いて5分ぐらいか。
全く違う光景に驚く。
何せモダンアートの殿堂なのだから。
今回は折よくあの、
「あい おう」氏(雲偏に愛、口偏に区)
の作品展が見られた。
広い展示場に
あの独特のレインボーカラーが
所狭しと踊っていた。
初期の作品は
どうもルオーの影響を受けていたようだ。


常設展示は
モダンアートの良き時代のものがあった。
赤瀬川原平や吉原治朗など
わたしが10代の終わりごろに活躍した作家。
裸で走り回ったり
ボディペイントをしたりで、
戦後日本美術を変えようとした。
ダダイズムのような運動だった。
今こうして観ると
何か時間の流れの底の
化石を観るような妙な気持になった。

5月5日は上野から浅草をぶらぶら歩き。
上野は動物園のにぎわいで混雑していそうなので、
科学博物館の裏を通って
東京芸大の美術館に直行。
ここはフェノロサの銅像があったり
裏庭やティールームが落ち着く。
歩いていると
薄っすらと汗ばむ季節。
それでも人は結構出ていた。
いつもの静寂さはない。

それから言問通りを下って
浅草についた。
予想以上の混雑に驚く。
スカイツリーの効果は凄いものだ。
普段は閑散とした街が、
人で溢れかえり
歩くのも容易でない。
あの煮込み横丁にも
子供連れの姿が多かった。
雷門付近は通行規制がでるほどだ。
子供の頃(50年ぐらい前)の
浅草の賑わいが復活か。
今この歳では
静かな方が良いのだが…。
昼時の食事処は
何処も行列。
とにかく家人も帰ろうと云ったので
早々に混雑を離れた。
スカイツリーが落ち着くまで
休日の訪問はやめにしよう。
残念ながらそう想った。

深川の清澄庭園からその近くの
江戸資料館と現代美術館まで
足を延ばしてみた。

5月4日、緑の日につき
清澄庭園は無料開放だった。
新緑が池の水面に映え
風が心地よかった。
今度はすいている日に
ゆっくり来て見よう。

そこから現代美術館は
歩いて5分ぐらいか。
全く違う光景に驚く。
何せモダンアートの殿堂なのだから。
今回は折よくあの、
「あい おう」氏(雲偏に愛、口偏に区)
の作品展が見られた。
広い展示場に
あの独特のレインボーカラーが
所狭しと踊っていた。
初期の作品は
どうもルオーの影響を受けていたようだ。


常設展示は
モダンアートの良き時代のものがあった。
赤瀬川原平や吉原治朗など
わたしが10代の終わりごろに活躍した作家。
裸で走り回ったり
ボディペイントをしたりで、
戦後日本美術を変えようとした。
ダダイズムのような運動だった。
今こうして観ると
何か時間の流れの底の
化石を観るような妙な気持になった。

5月5日は上野から浅草をぶらぶら歩き。
上野は動物園のにぎわいで混雑していそうなので、
科学博物館の裏を通って
東京芸大の美術館に直行。
ここはフェノロサの銅像があったり
裏庭やティールームが落ち着く。
歩いていると
薄っすらと汗ばむ季節。
それでも人は結構出ていた。
いつもの静寂さはない。

それから言問通りを下って
浅草についた。
予想以上の混雑に驚く。
スカイツリーの効果は凄いものだ。
普段は閑散とした街が、
人で溢れかえり
歩くのも容易でない。
あの煮込み横丁にも
子供連れの姿が多かった。
雷門付近は通行規制がでるほどだ。
子供の頃(50年ぐらい前)の
浅草の賑わいが復活か。
今この歳では
静かな方が良いのだが…。
昼時の食事処は
何処も行列。
とにかく家人も帰ろうと云ったので
早々に混雑を離れた。
スカイツリーが落ち着くまで
休日の訪問はやめにしよう。
残念ながらそう想った。
