2011年09月
2011年09月21日
9月21日(水) 水辺に彼岸花が咲き、鴨も渡ってきて秋がすぐそこの気配。川辺のコスモスも風にそよいでいる。
今日あたり、
また台風が来ていて、
時折すごい勢いで
雨が吹きつけている。
昨日、
近所の河原を散歩。
岸辺に
コスモスが咲いていた。
風にそよぐ様は
もう秋なのに、
近づいている台風のせいか
空はどんより。
湿度はかなり高く、
半袖のシャツでも
汗ばむほどだ。
平日とあって
人は誰もいない。
どんよりと濁った河の水嵩も高く
不気味な感じ。
土手に座って
昨日買った歴史家・思想家の
「頼山陽」見延典子著
を読む
文庫で3冊、
裕に1500ページ程(上・中・下巻)。
明治維新の
思想的なベースになった人物の一人だ。
わが家に、
なぜか彼の書いたと
いわれる書・額がある。
一度、きちんと
彼に関する書物を
読んでおきたかったからだ。
この伝記小説は
若かりしとき、
突然、妻子を残し
郷里を出奔するくだりから始まる。
ポツポツと
雨が降って来たので、
続きは家に帰ってからにした。
それにしても
今年は、
なんと自然災害の多い年なんだろう。
スカッとした
青空の秋が待たれます。
また台風が来ていて、
時折すごい勢いで
雨が吹きつけている。
昨日、
近所の河原を散歩。
岸辺に
コスモスが咲いていた。
風にそよぐ様は
もう秋なのに、
近づいている台風のせいか
空はどんより。
湿度はかなり高く、
半袖のシャツでも
汗ばむほどだ。
平日とあって
人は誰もいない。
どんよりと濁った河の水嵩も高く
不気味な感じ。
土手に座って
昨日買った歴史家・思想家の
「頼山陽」見延典子著
を読む
文庫で3冊、
裕に1500ページ程(上・中・下巻)。
明治維新の
思想的なベースになった人物の一人だ。
わが家に、
なぜか彼の書いたと
いわれる書・額がある。
一度、きちんと
彼に関する書物を
読んでおきたかったからだ。
この伝記小説は
若かりしとき、
突然、妻子を残し
郷里を出奔するくだりから始まる。
ポツポツと
雨が降って来たので、
続きは家に帰ってからにした。
それにしても
今年は、
なんと自然災害の多い年なんだろう。
スカッとした
青空の秋が待たれます。
2011年09月14日
9月14日(水) ノロノロ台風が過ぎて秋が来たかと思ったら、まだまだ猛暑日が続いて、ウンザリのこの頃です。
とはいえ
先日の夜は「お月見」。
そんなに雲もなく、
中空には、
大きく明るい
満月が懸った。
月の明かりが
こんなに明るいとは。
街の屋根屋根が
ほの暗く
柔らかく浮かんでいる。
年のせいか乱視が進んで
月の姿が
ややもするとダブってみえる。
遠くの方から
夜鳩の啼き声が
聞こえてきた。
わが家のベランダに住むカマキリが、
月に向かって
その斧を振りかざしていた。
月見団子の餡が、
幽かに甘かった。
話は変わって
先週末。
映画「探偵はバーにいる」を観た。
東直己の
小説「バーにかかって来た電話」が原作。
札幌・ススキノ探偵シリーズ第2作目。
謎の女からかかってきた電話に、
次々と振り回され走る探偵(大泉洋)。
その相棒(松田龍平)。
事件は意外な展開と結末へ…。
札幌の地元ススキノのロケが
効果的に使われている。
本州とは違う空気感の歓楽街。
はじめて行った時、
ここはANOTHER CITYかなと感じた。
昔、原作を読んでいたけれど
結構良くできた映画で、
ノンストップに楽しめた。
大泉と松田のコントラストも、
極対照的で面白い。
ただもっと寂れた感がある建物が
ススキノの外れにあったりして、
街がもう一つの主人公なら
そんな「影のシーン」もあればと思った。
観終わって、
急に札幌のビール園で飲んだビールと
ラム肉のジンギスカンが
恋しくなった。
食欲の秋…。
2011年09月07日
9月7日(水) 今年は何でこうも自然災害が多いのだろうか? 大津波、台風… 大自然と折り合いのつかない年なのですかね…。
長くて暑かったかった夏も
台風一過。
今日は湿度も低くて
涼しい朝だった。
東京の夏は
とにかく高温多湿。
クーッと
冷房の聞いた部屋で
涼みたいが、
節電・節電で
クーラーも遠慮がちだった。
ヌルーイ空気に
ただただ
耐えているのがいやで
図書館に行くが、
いつも満員御礼。
思い立って
また映画を見に行った。
「ツリー・オブ・ライフ」
ハリウッドの俳優たちが
リスペクトしてやまないといわれる監督、
テレンス・マリック作品。
物語は1950年代の家族の話。
三人の男兄弟が育っていく
アメリカの家庭ドラマ。
厳格な父親と優しい母。
細かな日常の描写の積み上げ。
次男は19歳のときに
戦争で亡くなる。
昨今のハリウッド映画では扱わない
地味なドラマである。
ただし、
現在のシーンでは
その長男が(成功した中年=ショーン・ペイン)、
都会の摩天楼に囲まれた中で
自分の人生を振り返る。
何が自分の半生に在ったのか。
命とは何か(弟の死を含めて…)。
「2001年宇宙の旅」のような
イメージシーンがごく自然に、
洪水のように
カットバックしてくる。
人間の営みの
あまりにもの小ささとを。
対照的なモンタージュだ。
映像は
宇宙の創生から地球の誕生と
壮大なシンホニーをかなでる
叙事詩のように、
見るものを圧倒する。
巧みな織物を
見ているようだ。
命は果てしなく創られ、
いつの間にか
次々と引き継がれる。
果てしない輪廻の流れを見る。
人は
答えのない問いを
発するときがある。
自分とはなにか?
人生とは?
生命とは?
この作品を見てしばらくして、
F・フェリーニの
「8 1/2」を
思い出していた。
自分の人生を振り返る
主人公の映画監督が、
ラストで
浜辺を彷徨うシーンが
浮かんできた。
またI・ベルイマン監督の
「野いちご」の夢のシーンも
なぜか思い出してしまった。
西欧的な「神」が
対立的にいる精神風土、
自然と融和して生きてきた
「仏教」の違いが
この映画を見終わって
感じられたような気がする。