2010年07月
2010年07月31日
7月31日(土) 話題のSF映画『インセプション』を観た 〜映画はやっぱり夢のまた夢か
夢を扱った作品は
文学にも映画にも
数多くある。
私は、
いつものように
映画監督が創り出した
もう一つの夢を観に
映画館にいく。
中には
たわいもなく薄っぺらで
現実の方が
余程面白かったりで、
がっかりする作品も多い。
映画は、
他人が創った夢を
鑑賞するものだ
と思っている。
白日夢と知りつつ
ひきこまれ騙されるのが
心地よい。
自分にとっての
醍醐味なのだ。
だから監督は
巧みに、
華麗に、
緻密に、
『夢』を構築してほしい。
今や
科学がSFを超えてしまった。
(この映画の前提)
ケータイで
居ながらにしてネットにつながり、
世界につながり、
さまざまなアプリと遊ぶ。
30年前のSFの
新しいテーマだった
「サイバーパンク」の世界は
もう古典だ。
近い将来、
自分の細胞を保存して
必要な時移植する…、
不老不死が
当たり前になる?
前置きが長くなった。
この映画は
他人の頭の中に入り込み、
そのアイデアを盗む
プロフェショナルたちの話だ。
夢を操る話は
昔からあるが(陰陽師?)、
背景が現代なので
町やビルが
上空にあるシーンには
平衡感覚が狂ってしまう。
監督はCGが好きではなく、
セットで作り込んだそうだ。
この作品では
3Dである必要はないと思った。
ターゲットの深層心理の
いちばん深いところに降りて、
INCEPTION(〜新たに作り込むこと)を
実行して騙す。
自分たちも
帰れなくなるかもしれない
危険なミッションだ。
これから見ようとする人のために
詳細はカット。
とにかく
見ていて飽きない
面白さにあふれた作品だった。
映画という夢の中に
もう一つ奇妙な夢を
見させてくれた2時間。
ハリウッドに
作家性の高い監督が
久しぶりに現れた。
『ダークナイト』で名を上げた
クリストファー・ノーラン監督の
脚本・演出には、
次作も期待したい。
わけ入っても わけ入っても 青い山
種田 山頭火
文学にも映画にも
数多くある。
私は、
いつものように
映画監督が創り出した
もう一つの夢を観に
映画館にいく。
中には
たわいもなく薄っぺらで
現実の方が
余程面白かったりで、
がっかりする作品も多い。
映画は、
他人が創った夢を
鑑賞するものだ
と思っている。
白日夢と知りつつ
ひきこまれ騙されるのが
心地よい。
自分にとっての
醍醐味なのだ。
だから監督は
巧みに、
華麗に、
緻密に、
『夢』を構築してほしい。
今や
科学がSFを超えてしまった。
(この映画の前提)
ケータイで
居ながらにしてネットにつながり、
世界につながり、
さまざまなアプリと遊ぶ。
30年前のSFの
新しいテーマだった
「サイバーパンク」の世界は
もう古典だ。
近い将来、
自分の細胞を保存して
必要な時移植する…、
不老不死が
当たり前になる?
前置きが長くなった。
この映画は
他人の頭の中に入り込み、
そのアイデアを盗む
プロフェショナルたちの話だ。
夢を操る話は
昔からあるが(陰陽師?)、
背景が現代なので
町やビルが
上空にあるシーンには
平衡感覚が狂ってしまう。
監督はCGが好きではなく、
セットで作り込んだそうだ。
この作品では
3Dである必要はないと思った。
ターゲットの深層心理の
いちばん深いところに降りて、
INCEPTION(〜新たに作り込むこと)を
実行して騙す。
自分たちも
帰れなくなるかもしれない
危険なミッションだ。
これから見ようとする人のために
詳細はカット。
とにかく
見ていて飽きない
面白さにあふれた作品だった。
映画という夢の中に
もう一つ奇妙な夢を
見させてくれた2時間。
ハリウッドに
作家性の高い監督が
久しぶりに現れた。
『ダークナイト』で名を上げた
クリストファー・ノーラン監督の
脚本・演出には、
次作も期待したい。
わけ入っても わけ入っても 青い山
種田 山頭火
2010年07月17日
7月17日(土) 初めて飛騨高山〜白川郷を訪ねた。
いつか行こうと思っていた
飛騨高山と
白川郷行きが、
バスのパックツアーで実現した。
1泊2日の
かなり長い道のりで、
ほぼ日本列島横断の旅であった。
早朝出発で、
昼には飛騨高山にいた。
古い町並みが
巧みに保存されていて、
さすがに飛騨の小京都であった。
古い商家の中に入ると
ややモダンに内装が施してあり、
うまくマッチングしていて
洒落た佇まいを見せていた。
通りを歩くと
どこからともなく
酒の香りが漂ってくる。
造り酒屋が
何軒も開いていた。
高山は、
高地の盆地ゆえ
寒暖の差があって
いい酒が出来るのだそうだ。
酒飲みではないが、
ある店で濁り酒を試飲。
口当たりが良く、
サラッとしておいしかった。
飛騨の匠、からくりは、
時間がなく次回に回し。
古い藁葺屋根が現存する
白川郷に向かった。
私が幼いころでも
ずいぶん田舎に行かなくては
見れなかった。
原風景的な家屋だ。
懐かしさより、
よくもこんなにきれいに
保存しているものだと感心した。
集落全体が眺望できるところまで、
マイクロバスで移動。
日本のスイス?のような
眺めを楽しんだ。
その後、
バスは一路金沢市を目指し、
夕暮れに市内に到着。
宿舎について
夕食にはまだ時間があったので、
残照の残る浅野川の遊歩道を
散歩した。
忙しい一日だったので
このひと時も楽しんだ。
これも
異郷の旅情に浸るひと時、
余韻のような風情だった。
けふもいちにち 風を あるいてきた
種田山頭火
飛騨高山と
白川郷行きが、
バスのパックツアーで実現した。
1泊2日の
かなり長い道のりで、
ほぼ日本列島横断の旅であった。
早朝出発で、
昼には飛騨高山にいた。
古い町並みが
巧みに保存されていて、
さすがに飛騨の小京都であった。
古い商家の中に入ると
ややモダンに内装が施してあり、
うまくマッチングしていて
洒落た佇まいを見せていた。
通りを歩くと
どこからともなく
酒の香りが漂ってくる。
造り酒屋が
何軒も開いていた。
高山は、
高地の盆地ゆえ
寒暖の差があって
いい酒が出来るのだそうだ。
酒飲みではないが、
ある店で濁り酒を試飲。
口当たりが良く、
サラッとしておいしかった。
飛騨の匠、からくりは、
時間がなく次回に回し。
古い藁葺屋根が現存する
白川郷に向かった。
私が幼いころでも
ずいぶん田舎に行かなくては
見れなかった。
原風景的な家屋だ。
懐かしさより、
よくもこんなにきれいに
保存しているものだと感心した。
集落全体が眺望できるところまで、
マイクロバスで移動。
日本のスイス?のような
眺めを楽しんだ。
その後、
バスは一路金沢市を目指し、
夕暮れに市内に到着。
宿舎について
夕食にはまだ時間があったので、
残照の残る浅野川の遊歩道を
散歩した。
忙しい一日だったので
このひと時も楽しんだ。
これも
異郷の旅情に浸るひと時、
余韻のような風情だった。
けふもいちにち 風を あるいてきた
種田山頭火
2010年07月10日
7月10日(土) 梅雨の晴れ間に涼を求めて上野の森を歩いてみた。
私の育ったところは
台東区浅草。
上野公園は浅草からみると
小高い丘と森である。
台東区の名前の由来は、
小高い丘(台)の
東に位置するからだそうだ。
子供の頃、小学生時代は、
毎週のように
この上野公園で遊んだ。
博物館、
美術館、
神社仏閣が
集中している。
その頃のお気に入りは
「科学博物館」
「電気科学館」
である。
夏休みになると
子供向けの企画展が開かれ、
家族連れで満員になる。
恐竜展や化石展には
今でもワクワクする。
ジュラ紀、白亜紀、デボン紀…。
しかし今日は、
東京国立博物館に入った。
JR上野駅「公園口」から
10分ほど行くと、
公園の噴水の向こうに
博物館が見える。
梅雨の晴れ間の
土曜日とあって、
かなり人が出ている。
今日のお目当ては
「酒井抱一」の
『夏秋草図屏風』。
<右隻 夏草>
彼が師と仰ぐ
尾形光琳の『風神雷神』の裏面に
描いた傑作である。
野分けが止んで
庭にできた水の流れが、
群青色と金色で描かれ
風で夏草が濡れて
百合の花もそよいでいる。
背景は銀一色、
鮮やかな配色である。
夏草の匂いやユリの花の香りが
したような気がする。
実物を観に来たかいがあった。
やはり思ったとおり
これからも
心に残っていく傑作だった。
帰りに上野の山を下りて
人ゴミのアメ横を歩くと、
これまた別世界の情景があった。
台東区浅草。
上野公園は浅草からみると
小高い丘と森である。
台東区の名前の由来は、
小高い丘(台)の
東に位置するからだそうだ。
子供の頃、小学生時代は、
毎週のように
この上野公園で遊んだ。
博物館、
美術館、
神社仏閣が
集中している。
その頃のお気に入りは
「科学博物館」
「電気科学館」
である。
夏休みになると
子供向けの企画展が開かれ、
家族連れで満員になる。
恐竜展や化石展には
今でもワクワクする。
ジュラ紀、白亜紀、デボン紀…。
しかし今日は、
東京国立博物館に入った。
JR上野駅「公園口」から
10分ほど行くと、
公園の噴水の向こうに
博物館が見える。
梅雨の晴れ間の
土曜日とあって、
かなり人が出ている。
今日のお目当ては
「酒井抱一」の
『夏秋草図屏風』。
<右隻 夏草>
彼が師と仰ぐ
尾形光琳の『風神雷神』の裏面に
描いた傑作である。
野分けが止んで
庭にできた水の流れが、
群青色と金色で描かれ
風で夏草が濡れて
百合の花もそよいでいる。
背景は銀一色、
鮮やかな配色である。
夏草の匂いやユリの花の香りが
したような気がする。
実物を観に来たかいがあった。
やはり思ったとおり
これからも
心に残っていく傑作だった。
帰りに上野の山を下りて
人ゴミのアメ横を歩くと、
これまた別世界の情景があった。
2010年07月06日
7月6日(火) 先日、ベランダでカラスと会話?した話。
先日夕方の事。
ベランダで何げなく
景色を観ていたら、
7、80メートル向こうの立木の中で
なにやら動くものが…。
と、カラスが二羽、
バタバタと翼を動かしている。
よく見ると
一羽はやや小さく、子ガラスのようで、
親ガラスに餌をねだっているようだ。
そんなやり取りを
一分ぐらいで見ていたら、
急に親ガラスが飛び立って
私のほうへ向かっているではないか!
まさか! と思う間もなく
私の立っているベランダの
手すりの止まった。
すぐ目の前、
手の届きそうなところに
カラスがいる。
思わず
目が合ってしまった。
次の瞬間、
もう一歩カラスが近づいてきた。
そして彼(彼女)は
私を睨んだ(様な気がする)。
カラス曰く
『何を見ているのよ、
私の子供に何かしたら怖いからね!』
そんな気迫が感じられたので、
思わず、
「ただ見ていただけだから
心配しなさんなよ」
と声を出して言ってみた。
(馬鹿みたいだけど)
ややあってカラスは
ダメ押しのように首を前に振って
「解った」というように
突然飛び立っていった。
ホントに
不思議な出来事だった。
写真は2、3年前、
金沢市の雑貨屋で撮ったカラスです。
その時も
店のおばあさんは言う。
「店の中の食べ物を狙っているのさ。
わたしゃね、
店にはいちゃだめだと云ってやるのさ」
「そう言っておかないと
ホントにいないときには
店に入ってくるからね」
「カラスは賢いから
人の顔を覚えているね。
悪さをした人には
仕返しをするからさ」
「だから
棒や箒で追わないように
しているわけさ」
人類が滅んでも、
カラスと、ゴキブリは
生き残るかも知れない。
彼らの共通点は
と考えると
「黒くてつやつや」しているところか。
オソマツさまでした。
<黒板塀に凛と佇む菖蒲>
<小学校の生け垣に生えるように
展示してある魚の絵>
ベランダで何げなく
景色を観ていたら、
7、80メートル向こうの立木の中で
なにやら動くものが…。
と、カラスが二羽、
バタバタと翼を動かしている。
よく見ると
一羽はやや小さく、子ガラスのようで、
親ガラスに餌をねだっているようだ。
そんなやり取りを
一分ぐらいで見ていたら、
急に親ガラスが飛び立って
私のほうへ向かっているではないか!
まさか! と思う間もなく
私の立っているベランダの
手すりの止まった。
すぐ目の前、
手の届きそうなところに
カラスがいる。
思わず
目が合ってしまった。
次の瞬間、
もう一歩カラスが近づいてきた。
そして彼(彼女)は
私を睨んだ(様な気がする)。
カラス曰く
『何を見ているのよ、
私の子供に何かしたら怖いからね!』
そんな気迫が感じられたので、
思わず、
「ただ見ていただけだから
心配しなさんなよ」
と声を出して言ってみた。
(馬鹿みたいだけど)
ややあってカラスは
ダメ押しのように首を前に振って
「解った」というように
突然飛び立っていった。
ホントに
不思議な出来事だった。
写真は2、3年前、
金沢市の雑貨屋で撮ったカラスです。
その時も
店のおばあさんは言う。
「店の中の食べ物を狙っているのさ。
わたしゃね、
店にはいちゃだめだと云ってやるのさ」
「そう言っておかないと
ホントにいないときには
店に入ってくるからね」
「カラスは賢いから
人の顔を覚えているね。
悪さをした人には
仕返しをするからさ」
「だから
棒や箒で追わないように
しているわけさ」
人類が滅んでも、
カラスと、ゴキブリは
生き残るかも知れない。
彼らの共通点は
と考えると
「黒くてつやつや」しているところか。
オソマツさまでした。
<黒板塀に凛と佇む菖蒲>
<小学校の生け垣に生えるように
展示してある魚の絵>